モトハチ(元蜂の宿管理人のブログ)

閉鎖したライダーハウスの元管理人のブログです

居酒屋を閉店しました

保健所の許可はとっていたのですが、ライダーハウスの集客に依存していた居酒屋を閉店することにしました。

さいごのビール

始まりは10年前。2009年に、それまで3年やっていた兄との居酒屋とライダーハウスを閉鎖。それから美瑛のライダーハウス蜂の宿を借りることができたのでした。

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最初の状態
10年まえ

それができたのも、ここに電車があったからです。ライダーハウスを借りにきたつもりが「つかっていいぞ」と電車を軽く貸してくれたのでした。

電車は飲食店として使われていて、何も改造することなく、居酒屋をオープンさせることができました。

幸い地元のお客さんも来てくれて、ライダーハウスと居酒屋は車の両輪のごとし、なくてはならないものになりました。

地元のお客さんがいないときは、ライダーが来てくれて、ライダーがいない時期は地元のお客さんが来てくれる状態です。

4月から10月ぐらいまで営業して、冬の間は郵便局などにアルバイトに行っていました。1度だけ、居酒屋の冬営業もやったことがありましたが、寒さには勝てず、夏だけ営業を続けます。

基本的に1人でやっていたので、あまり大人数には対応できませんでしたが、ザンギ丼の誕生によりオーダーがばらけず、上手く回るようになったと思ってます。やればやるほど、動きが練られて、どんなオーダーにも対応できるようになりました。

自分のレベルが上がっていくのを実感できます。自分の作った料理を、自分で食べることができないので、答えは常にお客さんの表情と、残ったお皿にありました。特にザンギ、ラーメン、餃子は好きな料理で、常に全力を尽くすことができたと思ってます。

メニューでいえば、チーズが苦手なお客さんがいて、その人の為に和風リゾットを作ったら、爆発的に売れたということもあります。こんなこともあり、自分で全部やるのが楽しかったのです。反応がダイレクトですからね。

「一生、飲食店の仕事をしたいなあ」と思っていたのですが、ライダーハウスができないとなると、それは甘い夢です。ライダーハウス部分をぜんぶ撤去して、観光客目当てのカフェなどやるのでしたら、可能でしょう。しかし、私の持っているものはライダーハウスに併設された居酒屋というスキルのみ。とても観光客が喜ぶようなものは作れません。

それに、ここの土地を購入する計算もできません。数年ほど、がっつり働いて、まずはここの土地を買う。それから、次の手が打てるのだと思います。

ということで、居酒屋「まる」を閉店することになりました。店名は桂バクザン先生の「まるというのは、書でも難しい。だけど、不思議なことに、子供ほど良いまるが書ける」という話から。初心忘れるべからずというか、下手なテクニックなど無いほうが良いという意味でしょう。

土地を買うためには、その料金を皿に乗せねばならず、それは料理にも出てしまいます。素人が作る、金のための料理って最悪。「喜んでほしい」「驚いてほしい」という最初の気持ちだけで作りたいです。その為には、閉店は必然でした。