この考えは間違っているかもしれない
きっと間違っているのだろう
仕事の合間に漫画を読む(なんて劣悪な環境なんだと思う)
「暗殺教室」は神戸旅行の時に、泊まったホテルにあったもの。
勢いで読んで、買ってしまった。
「教育者たるもの教育のチャンスは逃さない」
と殺せんせーはいう、このセリフがじわじわくる。
ちょっと前に、甥っ子が高校受験を終えて、あとは入学式まで何もやることがないと聞いた。
「裁判傍聴でも行く?」と投げかけてみた。
「うーん」
という返事だった。まあ、そうか。怪しい趣味だものなあ。
そして、しばらくして、あと2日で入学式という時
「やっぱり行きたい」
と言うことを聞く。でも、もう時間がない。チャンスは失われてしまった。
もっと、グイグイいくべきだったと後悔している。
裁判傍聴から得られる教訓、情報は多い。
社会の大きなシステムである
「人が人を裁くとは、どうゆうものか?」
を知ることができる。
「なぜ、法律が必要なのか?」
感じることができる。
それは、大人になったら感じなくなるものだ。
「ちゃんと真面目に正直に生きれば、人生は保障される」
という幻想を抱いたまま死ねる人は、どんどん少なくなっていくだろう。
アルコールや覚せい剤、ちょっとしたつまずきで、そのような幻想は霧のようになくなってしまうのだ。
それを悪とか善とかでカテゴライズできるのか?そんな問題を15歳に問いかけることができたチャンスだった。
アマゾンプライムの映画「シェフ」でもそんなシーンがある。
子供が「どうせタダだからいいでしょ?」と出来損ないのサンドイッチを提供しようとする。
「ちょっと、こっちにこい」とパパは子供と2人きりになる。
「俺は食べ物を作る仕事が好きだ、誇りに思っていて、それをお前に伝えたいと思っている・・・・・で、あのサンドイッチを客に提供するのか?」と言う。
いいシーンだなと思った。誇りは学校教育では教えることができない。
幸いなことに。15歳ほど若くはないが、29歳ぐらいまでの人と触れ合える機会が多い仕事をさせてもらっている(それに、学びは年齢の問題ではない)。
チャンスは逃がさない。引かれるかもしれないし、バカにされるかもしれないが、伝えたいんだ。
その為には、カッコイイ大人でありたい。常に挑戦し続ける人でありたい。だから毎日書いているけど、ドローン空撮の会社を作って法人登録するぞ。言い続けないと、きっとだらけてやめちゃうからね。