冬の間に夏の心配をすることがあります。「どんなヒドイ人や人間の屑が来るのだろう?それによってどんなダメージを受けるのだろう?」というものです。
これには意味があります。あらかじめ最悪のケースを想定することで、実際に出会ったときの心の準備をしておくことです。このようなことをやり始めたのは、おそらく美瑛にきたときの1年目の出来事がひどかったからです。
アル中の鬱、ホームレス、謎の長期滞在者(自分のことは一切話さない)どれもなかなかのキャラクターでした。傷ついたことが多かったです。なので無意識に冬の間に心の準備をすることにしたのでしょう。
2年目からはそのような強烈なキャラクターはいませんでした。年々減少しているといっていいでしょう。ただ、心の準備をする習慣だけは残りました。
嫌いな人を想像して、不安に飲まれることもあります。たまねぎ工場でアルバイトをしていたときは、自分の想像にがっつりと削られたこともありました。
そろそろ、この習慣から卒業するべき時なのかもしれません。1年目はいろいろ緩いから、変なのがいっぱい入ってくるものです。そのことを9年目である今年が参考にすることはありません。
もうすでに流れのようなものができあがっているからです。蜂の宿という場所のカラーが、ろくでもないものをはねつけてくれるでしょう。
存在しない、出会ってもいない人です。彼らを嫌ってどうなるのでしょう?生産性のないことから卒業するべきです。
嫌うよりも、好きを増やすべきです。存在しない嫌いな人のことを考えるより、出会った人のことを好きになるよう努力します。それは勇気とエネルギーが必要です。
労力を惜しんだりダメージを心配してはいけません。あまり知らない人のことを、適当に理由を付けて嫌うのは簡単です。心を開いて好きになった分、傷ついた時のダメージは深刻です。
積極的に好きになろう。なんだかよくわからない理由で人が人を嫌っているのを見たことがないでしょうか?きっとアレ、楽だからです。
参考
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