私はバイクに乗れないと元気がなくなります。それはバイクに乗る人には理解できることですが、乗らない人には理解できないことです。
1.さっき社会保険所にいってきたのですが、いま自分に全く元気がないことがわかりました。「ここを押したら安楽死できるよ!」というボタンがあったらやばいです。
社会保険所の担当者は60代くらいの女性で、受け答えのきっちりとしたいい人でした。元気がないときは「きっとクソみたいなやつが、見下してくるに違いない」と妄想してしまうのですが、良い人でした。
丁寧で、やさしく、幸せそうなご婦人です。右手の薬指と左手の中指に金の指輪をはめていて、左手首にも金のブレスレッドをしています。
きっと風水とかに興味があるのでしょう。たしか風水は中国の五行を元にした学問で、日本にも明治まで生きていました。陰陽師などもその流れですね。
風水では金の何かを身に着けることは、たしか金運とかに恵まれるためのなにかだったはずです。ちょっと目に毒でしたが、このような場所にはたまに社会主義国家にいるようなノーサービスの人もいるので、それに比べればぜんぜん問題ありません。
すぐに手続きは終了しました。ご婦人をシカンしてる場合ではありません。とにかく元気を取り戻すべきです。
2.車に乗って移動します。車は暖房が利くので快適です。横転することもめったにありません。
ただ外界と遮断されるのはよくないことです。車重が1トン以上あるのも良くない点です。こんなに重くて難しいものを、みんなよく運転できるなと思います。
バイクに乗りたい。としみじみ思います。たとえ寒くて、2kmも乗ったら体が凍り付きそうになっても。バイクに乗れば元気になれます。
「バイクは危ない」と言われてもです。確かにバイクは危ない乗り物です。でも車と決定的に違うのは加害者になるリスクです。
バイクは被害者になったときのリスクは半端ない乗り物ですが、加害者にはなりにくい乗り物です。人を轢殺することが少なく、車に当たってもこちらが死ぬだけです。
それでも、良識のある人は車に乗るべきだと言っているようです。たとえ加害者になってでも安全を確保することが大切だと。
3.それはテレビにつながる発想だとおもいます。いま実家にいるのでテレビが流れているのですが、テレビには全く元気がありません。
去勢された犬のように元気がありません。絶えず正しいポジションを取り、正しいコメントを発表し、正しい人に向けて発信してます。
醜く、不道徳で、馬鹿みたいに面白かったテレビはもうないようです、かなしいなあ。
4.私が元気になるのはウソをついたり、危ないことをしているときです。そうでないと弱ってしまう人間です。
いまノマドポイントをもとめてマック→スタバに移動しました。目の前の環状線では凍結路面を車がびゅんびゅん走っています。
あれは間違っていると思うけどなあ。
5.つまりは間違っていることが大切なのです。
正しいことには「正しいことをすると元気がでる」人がぴったりです。社会保険所にはそのような人の居場所だと思います。
車が似合うのは「車に乗ると元気が出る人」。スタバが似合うのは「スタバが好きな人」。バイクが似合うのは「バイクに乗ると元気が出る人」。
社会が正しいと思う形と自分がフィットするとは限りません。去勢された世界ではバイクを乗り回すのは悪で、私には元気をくれるなくてはならないギアです。
去勢だけはされないぞ、俺のライダーハウスをブチ込んでやるのだ。