「70歳の人が運転する車に追突されて、加害者に脅される」
という話をしりました。
加害者の意向で金は払わないということです。
過失割合は10-0、なので被害者には損害保険が発生しません。
個人で、よくわからないことを言い始めた加害者と保険会社を相手に戦わなくてはいけなくなったのです。
「追突したときの速度を証明しろ」とか、本当に意味が分かりません。
被害者は本当に大変だと思います。
弁護士を探して依頼し、立件してキ○ガイと戦わないといけません。
私が知っているのは「裁判所は割と正義」ということです。
少なくとも旭川裁判所の裁判傍聴をしていて、常識や正義から外れた判決はありませんでした。
なので、なんとか資金を工面して、恐れずに訴えることをおすすめしたい。
おそらく、そこまで行く前に損保会社がびびって金を払うはずです。
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他人事ではありません。私の両親もアラウンド70歳。
せめて冬の間は私が運転手として手伝えますが、夏は自分で運転するでしょう。
ライダーハウスのおかげで、私は私の人生に満足していますし、ランサーズのおかげでどこでも仕事ができる状態です。
運転手になるのはやぶさかではなく、なんとか生きていくのも不可能ではありません。
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正しさってなんだろう?と思います。
裁判に行けばそれは法律になります。
が、ほとんどの場合、正しさは個人の中にしかありません。
追突した70歳の運転手にとって、自分が悪いけど金を払わないのは、それがその人にとって正しいからです。
ヤクザだって、テロリストだって自分が正しいと思っています。
だからそんな基準については考えてはいけません。
ボーイズビーアンビシャスといったクラーク博士が北大の黎明期に言った言葉を知りましょう。
あれこれ校則をつくった人に意見を求められ、全部否定して書いた言葉を。
「これだけで十分だ」といった言葉は「紳士たれ」
たった4文字なのに、果てしなく美しい。
美しさは時間を超えて私の胸に響いてます。
物を判断する基準は美しさであり、私のルールは「それは紳士的か?」というものです。