ライティングの勉強をしていたら「すごいことを『すごい』って書かない」ということを知りました。それでいて「すごい」ことを表現するのがコツだと。いか、その練習です。
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実家の車にはMDがついている。
その車を使って送り迎えしたりするのが今のメインの仕事だ。ようするに寄生しているといえる。その仕事の合間に真性包茎とかのライティングで小銭を稼いでいる。
でもそればっかりじゃ疲れるので、車を借りてドライブ行ったりする。旭川まで行ったり、美瑛にもどって回覧板を回したりする。路面は凍結したので、快適に飛ばせる状況ではないが楽しい。
むかし、まだMDが生きていたころ、CDをレンタルしてはMDにコピーしていた。パンキッシュなロックが好きだった。それをポータブルMDに入れて、職場の郵便局まで聞きながら歩いた。30分以上かかる道のりだが、全く苦にならなかった。
中でも好きだったのがミッシェル・ガン・エレファントで、何度聞いたかわからない。耳が痛くなるぎりぎりまで音量を上げて、自分の気持ちを鼓舞していた。そうしないと職場に負けてウツになるとおもったからだ。
このとき、私は20代の後半に入りかけたところだった。仕事はうまくいかず、彼女もまったくできず、精神はどぶのように重たかった。自分のメンタルを極限まで追い詰めたら、きっとすべてが上手くいくと信じていた。
ドラゴンボールやオウム真理教と同じ発想である。頑張れば強くなれる、できないこともできるようになる。ウソだ。人ができることを自分はできないし、人ができないことで何ができるかわからない。そこには壁がある、努力や修行で超えられない壁だ。
私はその後郵便局を辞めて、なんとか自分のできることを見つけることができた。寄生とはいうけれど、自分の気持ちはとてもなっとくがいっている。ミッシェルを耳鳴りがするまで聞いていた時とは違うのだ。
実家の引き出しの隅にはまだあの時のMDがあった。車にもっていき、MDに入れてみる、10年前に作ったMDはまだ生きていた、音量を上げ、ひさしぶりに聞いてみた、グッとくる。
でも、MDに入っていたのはライブCDの前半だけで、全部ほしくなった。「なんてアルバムだったっけ?」ネットで調べてみる。そこで意外なことを知った。
ギターのアベフトシが死んでしまったことは知っていたが、ミッシェルを解散した後、広島にもどってペンキ屋をやっていたらしい。20代の私の心を支えてくれた音を出せる人が、なんでペンキ屋を?評価されなかったわけではなくて、その後吉川晃司に拾われている。死んだのは急性硬膜外血腫。
アベフトシのことを考える。あの叫ぶようなギターを鳴らす人は、きっと安定したメンタルなんてもっていなかったんじゃないだろうか。だから毎日叫びだしたかった私のハートをがっちりつかんだのではないだろうか?じゃないと故郷に帰ってペンキ屋をやろうとは思わない。
もしくは丸くなった自分の音が嫌になったのかもしれない。ロックバンドの中には、技術が上がって魅力がなくなるバンドもいる。それがいやだったから、アベフトシは広島に帰ったのかもしれない。
もっと詳しい人がいると思う。でもアベフトシの心の中は、アベフトシにしかわからない。
※「アイラブユーベイベ!」で始まるライブCDです。たぶん「Live or die」だとおもうけど、知っている人がいたら教えてください。