良い文章とは何だろう?どんなものが良い文章なのだろう?
三島由紀夫や新聞の社説がよい文章なのだろうか?
それとも、ブログ界隈でトップの人たちの文章がいい文章なのだろうか?
答えはきっと「すべていい文章」なんだろう、読者が沢山いるならば、それはいい文章だ。
いい文章を書くためには、どうしたらいいのだろう。
「ブログを書きまくれば、文章力は上がる」という意見があるけど、私は違うと思う。
ブログはあくまでウェブ・ログであり、自分自身のおもひで帖がネットに乗っているというものだからだ。
「ブログは個人メディアです」という意見もわかる。 なんってったって、ブログは自由だ。 各人が好きなように好きなことを好きなルールで書けばいい。
自由だから制約がない、制約の無い環境で人は成長するのだろうか?
子供の目の前に参考書を置いておけば、勝手に勉強を始めるだろうか?
やる人はやるだろう、自習だけで東大に入る人もいる。
だがほとんどの人間はだらける、少なくとも私はそうだ。
ほっとくとだらけるから、ルールや他人の監視が必要なのだ。
そう思ったのは、クラウドソーシングを始めて、文章がお金になったときだ。
たとえ、書くのに1時間かかって、報酬が200円の案件でもお金はお金だ。
「すげえ、お金になったよ」と思った。 そして、コレはマジでやらないといけないなと。
ブログのような、成果報酬型のお金じゃないのだ。 ブログだったら「読まれなかったよ、えへへー」と笑ってられるが、クラウドは「コレが商品になります、200円ください」と襟をただして請求しなくてはいけない。
真剣度はどちらが上だろうか?
私はめちゃくちゃ真剣に考えた、それは「よい文章とはなんだろう?」ということだ。
ブログだったら、べつに何でもいい。 言いたいことを言いたいだけいったり、面白いと思ったことを面白く書いていればいいのだ。
きっといい文章とはそうじゃない、その証拠にこのブログのアクセスカウンターは細々としている。
私は文章技術について調べ始めた、すべての本に書いてあることは一貫してた。
「シンプルに伝えろ」ということだ。
きっとここにいい文章の本質があるのだろう。 すなわち、文章とは伝えるためにあるということだ。
だれかに情報を伝えるために文章は存在する。
だれかに情報を伝えるには、余計なものは排除する。
余計な言い回しや、レトリックはすべて消す。
ただ、意味だけを実直に伝える。
まっすぐに、正面からつたえる。
相手の虚をつかない、「ハッ」とさせない、それは小説家のやることだ。
自分なりのオリジナリティを出さない、そんなものは行間からでちゃうものだ。
フックヤアッパーを打たない、あくまでストレート
みたいな比喩をつかわない。
ただただシンプルに、意味を伝えるのがいい文章だ。
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