この前、よっぱらったおじさんに
「 こんなんで、やってけるの? 」と聞かれた
「 おそらく、あと数年です 」と答える。
「 そうか 」とおじさんはいって、会計を多めにくれた。
なにが「 やってける 」で、なにが「 あと数年 」なのかは知らない。
野球の話かもしれないし、十勝岳の噴火の話かもしれない。
枯渇する地下資源の話かもしれないし、社会保障費の話かもしれない。
まあ、常識的な流れではライダーハウスと居酒屋の話だったんだろう。
立ち話では語ることの出来ない、なんでこんなんでやっているのか? について
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電線につかまる鳥
うまく言葉に出来ないけれど、なんとか言葉にしてみたい。
そう思ってたら、いつものほぼ日にしっくりくる言葉があったので、それを参考に語ってみよう。
「 電線にいる鳥は、なぜおちないんでしょう? 」という問いがあって
「 鳥はおちても飛べるから 」という答え。
なるほど。
カイジでいうなら
「 ビルの向こうまで平均台を歩いて渡れば二千万円、落ちたら死亡 」という大人のアドベンチャーワールド的イベントがあって、
「 オラ、武空術つかえっから 」とカイジ。
「 いや、使えないだろ 」とトネガワ。
・・・・違うな、うまく言えない。
たとえば、「 絶対にミスって書いてはいけない書類 」があるとするじゃない?
第一志望の会社の履歴書とか、契約書のサインとか。 そんな失敗できない書類ほど緊張して失敗してしまう。 それら「 失敗が出来ないこと 」の対称にあるものとして
「 電線にいる鳥 」のたとえになってるのね。
鳥にとっては、電線なんて国道1号線ぐらいの難易度なんだろうけど、人間にとって電線に乗るってのは「 電流一本橋! 無事渡りきれば二千万円! 」ぐらいのキケン度よね。
つまり、失敗がクリティカルなものかどうか? ってことが大事なのよ。
で、ワタシにとってライダーハウス居酒屋の経営って人生の一番大事なことだと思うんだけど、失敗したら首をくくらなくてはいけないってほどでもないのね。
失敗してもゆうメイトに戻ればいいし( むしろその方が安定する )、刑事責任に問われることはないだろうし( おそらくだけど )、練り上げた居酒屋料理と日曜大工の技があれば( 宅地であれば )どこにでも住むことができるとおもうの。
失敗しても問題ないから、おもいっきり出来てるんじゃないかしら?
おもいっきりやってしまっているから、おもしろいんじゃないかしら?
おもしろいから、続けているし、やっていけるんじゃないかしら?
ソウ思ったのよ。 ほぼ日はやっぱすごいわ。
パーティション
居酒屋をお休みして、まったりと。
人間は5人くらいが一番安定するとおもうの。 「 五人組 」ってあったけど、
人間の集団としてそれくらいのパーティが、機動力、決断力、責任のありかなどが強くなるのね。 ライダーハウスもだいたいそれくらいの人数で区切られていて、ほっといてもそれぐらいの人数でまとまるみたい。
ただ、居酒屋をやるにあたってはワタシが全責任を持たなくてはいけないから10人でも20人でもまとまってしまうのが厳しい。 それぐらいの人数になると2,3人のトネガワ的中間管理職をやってくれる人がいないと管理できないのよ。
管理できないとクレームがくるのね。
そのクレームは至極もっともな意見なのよ。
CS( 顧客満足度 )的観点から、できないときはやらないほうがいいの。
買い物、最近のマネキンはええチチしとる。
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