モトハチ(元蜂の宿管理人のブログ)

閉鎖したライダーハウスの元管理人のブログです

イライラしてしまったと告白したら「安心しました」と言われたよ

山下澄人の「しんせかい」を読んだ。富良野塾の二期として富良野にやってきて1年の生活を書いた私小説なのだけれど、それがとてもよかった。言葉はとても少ないのだけれど、その裏側にある何かを読者に感じさせる小説だった。芥川賞、当たり前か。

 

とても印象に残っているシーンがある。主人公が廃材の釘を抜く作業をさせられるところで「こんなの意味がない」と言うのだ。なぜなら廃材は薪として使うのであって、釘はストーブの底に残っているのを片付ければいい。燃やす前に抜く意味がない。そんな合理的かつあたりまえのことに【先生】(おそらく倉本聰北の国からを作った人)は嘆く。「無駄なことというのは無い」という。その言葉は、こうして芥川賞を受賞した作品の1シーンになっていることからも証明されていると言えるだろう。

 

無駄なことはない。この非合理主義というべき考え方からすると、こんなブログもきっと無駄なことはない。

 

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低い虹

とうわけでアイスティーしかないけどいいかな?(あいさつ)恥じらいの朝焼けことボクです。デジタル化された笑点に新しい可能性を感じつつも、それをぶち壊すピンク師匠があいかわらずで最高。どスベったあとではにかむ、例のあれ。あれ1つで、いったい日本中のギャクセンスがないおっさんを救ってきたことか。「ああ、俺って面白いやつかも」と救われるおっさん。一生円楽(先代)に怒られていろ。助けに来る歌丸師匠はもういないぞ。

 

というのももちろんリスペクトであって、シロウトがこんなことをツッコめるスキが必要なんだよね。キャラが被っちゃいけない。滑りのピンク、エロは小遊三、政治は円楽、ぶっこみのたい平、ボケを超えた何か木久扇、家族ネタだけで食える三平。こんなメンバーの中で、そりゃキャラ立てづらいよね司会。そんなことを考えておりました。画面の中では画面の中の木久扇師匠が突然歌い出し、だれも止めることがないまま着地点は見つからず、カナダの大草原あたりに墜落したのでありました。スイッチを切ればいいのに。「切って!」という司会。プラグを引っこ抜くモジャ。暗転するモニタ。「こらー!」と客席から登場する木久扇。その流れを想像するだけで面白い。

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仕事のミスの後掃除の為に1時間ほど早く出勤した。PCでバチバチと文章を打つ。文章を打つのはとても好きで、そんなんだからライターなどをやっているのだけれど、それが自分のミスのことを報告する内容なのだから楽しくはない。「でも、ノザワさんのせいじゃないじゃないですか」と言ってくれる人がいた。それはそうなのだ。そんなことは知っている。知っているけど、言ってはいけないから、嬉しい。

 

その嬉しさを胸に仕事する。初めてかかわる利用者さんがいて、情報をできるだけインプットし対面した。経験の少ない介護職にとって緊張する一瞬だ。なんとかやりくりしていたら、別の利用者さんが動き始めた。いつもだったらそれは想定内なんだけど、今日に限ってはメモリが足りない。早出して、ミスを報告し、新しい利用者のことで頭がいっぱいだったのだ。初めてイライラしてしまい、これではいかんと助言をもとめた。「そんなときはこうするといいですよ」と言われたのでその通りしたら、ほんとうにそのとおりに収まった。さすがです。

 

さっきは助かりました、イライラしてしまいました。というと「安心しました」と言われる。イライラするのが当たり前の仕事だからだという。イライラしない方がおかしいし、そんな人間ヤベーでしょということなのだ。そうなのか、安心した。

きっといるよ!クソな隣人

あじゃーっす!ゆうちょ銀行のキャッシュレスサービス連携がガバって謝罪。その時「私たちは汗をかいてきたつもりだが」という総裁のワードがちょっとオイニー。かいてきたんだろうな、担当者たち。その超勤の汗の染みだしたところが菌の温床となってドコモダケが生えてくるのでしょう。

 

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ライデンの沢

 

今日もスーパーウルトラセクシーなことに休日でした。朝飯くって、ゴミ出しして、さあ、仕事でもやるかと思ったけれど〆切まであるからやる気が出なくて、あっふーん、俺っちってこんなことぐらいで日よっちゃうんだ・・・と挑発するのは皮膚がただれた50過ぎの女で「うっせーよ、たまには休みが必要なんだよ」というけれど、女はすでにいなかった。シャワールームの鏡にルージュの伝言。「裁判傍聴」そうだ!俺は裁判傍聴に行きたいのだ!

 

傍聴ライターらしく裁判所に電話して刑事裁判の予定を聴く。オッケー!やってる。車は車検だからバイクにまたがり国道をかっ飛ばす。110㏄のエンジンが吠える。とても気持ちが良い、なんて素晴らしい乗り物なんだと1時間ほどかかって裁判所まで行った。久し振りだなあ・・ガードマンに目礼したが「ご案内は必要ですか?」なんて言われてしまう。ここの裁判所のガードマンには全員にツラが割れていると思ったけれど、それは俺の自意識過剰だったようだ。もしくは新人か。

特殊詐欺の片棒を担いじゃった若者の事件だった。友達に言われるがまま数珠を買わされ、マルチに加入し、口座を開設し渡してしまった。アホである。小声で「でもmにはよくしてもらっているから」と言う。まだ信じているのかい?そいつ最悪のクソ人間だよ。人がいいのもいい加減におよし。俺達にはかみつく牙が必要だ。

 

午後にも1本あったが、やりたいことをやろうじゃないか。ワークマンプラスで自分の買い物。ベストムでプロテイン。仕事の買い物。美瑛に戻って最近できたスーパーに入る。メチャやすい。こんな田舎に3件のスーパーがあるという異常な状態が嬉しい。家に帰ると着信に気付いて、それは自動車工場からだった。「もう出来たよ」早い!歩いて俺のコルトを取りに行く。コルトは俺のパスポート。黒くて硬いパスポート。

 

車のハンドルを握りながら、その運転しやすさに驚く。2時間もバイクをかっ飛ばすと、体が痺れてとても疲れているのが分かる。もう無理が出来る年齢じゃないのだ。健康に気を遣わなければとプールに行った。すると駐車場に車が全然ない。「しまった!定休日だったか!」と思ったが普通に開いていた。単純に利用者がいないだけだった。

 

1人で温水プールを独占する。これが無料である。貴族気分とはこのことか。

 

泳ぎながら、今日の裁判傍聴の事を考える。自分が養分であることを、彼が気付くのはいつのことか。いや、きっと誰もが誰かの養分なのだ。ならば気づかない方が幸せではないかと思う。1人で生きていくことは出来ない。

 

 

俺のラーメン道の終着点が寿司屋だったって話

今日は休日出勤の日。会議があるのだ。たった1時間だけども、おっさん新人介護職にとって貴重な勉強の時間。ちなみに給料も発生するから何も問題はないのである。

 

いろいろ勉強になった。終了後の雑談タイムで「さみしさ」について話す。「あの人は、きっとさみしいのよ」という話を誰かがした。それはとても同感できる。認知症の頭の中で、あの人はどんなさみしさにやられているのだろう。

 

「じゃあ、さみしくない人って?」と誰かが言った。さみしくない人はいない。だから交流する。それはもう病だ。つまり淋しい病気。そんなことを言いたいがために、こんなことを書いているのではない。

 

家を買ったり、新しい仕事を初めたりして3か月。やるべきこと、覚えることは永遠の砂漠のように広大だった。だけど隙間時間を見つけて、ちょっとづつタスクをクリアしていくと、なんとなく片付いてきた。仕事も覚えてくる。

 

そうなるとメンタルは安定し、文章にコクがなくなってくる。このブログは俺のメンタルメーターだ。タンジェント高木が眠る。それはいい事なのだけれど、さみしい。

 

さて、日記。連休だった。しかも、同居人と休日が合うという、イベントまっしぐらな9月の日曜日だったのだけれど、結局コロナで何もする気が起きない。「ニトリ行く?」「行く」ということで買い物にした。

 

新居はニトリに埋まっていく。ラグ、ライト、棚ときて今回は敷布団。一生買うことは無いと思っているほどもらってきたけど、自分用は購入したい。ニトリにはとても低反発で沈み込む敷布団があった。

 

ついでにコタツも買ってしまった。朝は10度ぐらいまで冷え込むようになり、今これを書いているのもコタツのなかだ。テーブルもいいサイズで最高だった。

 

その帰りに、はま寿司に行く。3種の塩ラーメンというものがあった。380円。迷うことなくオーダーする。変化球のはま寿司。その腕はいかに。

 

「・・・・俺の理想のラーメンだ・・・・」

 

てきどな塩かげんと出汁の味、ジャンクな調味料もラーメンには欠かせない、それになにより値段だ。ラーメンはジャンクフードであるのなら、その価格付けは決して高い物であってはならない。マックをみろ、マックを。

 

思わぬところで、ラーメン道の終着点に到達してしまった。

 

次の日。休みだけど夕方から会議の為出勤しなければならない。山に行こうかな?と思ったけど、やるべきことがありすぎた。大きなごみを出し、役場で住所変更の手続きをし、郵便局でドコモ口座のリスクから回避する。ホムセンで買い物した後帰宅。各換気口をしっかりふさいで冬支度。お風呂にも換気扇を設置し、寒さから守る。

 

それから自動車工場に行く。車検を丸投げ、信用できるところだから「おまかせで」と伝えた。ああ、そういえばこの車の名義変更もまだだった。やるべきことがありすぎる。時間が来たので、職場に行った。

 

介護も道だとおもう。永遠に追及できるし、べらぼうに深い。だから休日出勤と言えど楽しかった。それにこのゴールがなければ、おれは走り出さない。自分で自分のことを知っているのはそれだけ。

タンジェント高木の私らしさとかいうヤベーやつ

「キミには才能がある、自分らしさを大切にもっと前面に出して」というk-popのビンワンプロデューサーに言われて女の子が才能を開花させるっていうストーリーのバラエティを見てしまった。「それまでずっと自信がなくて・・・でも、プロデューサーのあの言葉で『ああ、もっと私らしさを大切にしよう』って思ったんです」と女の子は自分らしさを大切にして歌を歌うことを決めたのでした。

才能とは、あまりにも無慈悲で、残酷なものは人を惹きつける。魅了すると言っていい。それは舞台作品とかでは顕著だ。100人が舞台に上がったとしても、たった1人の才能にはかなわない。スポットライトだけではない輝きを放つのだけれど、それがもっとも分かるのは99人の才能の無い(とぼしい)人がいるからだ。

歳をとったのだなと思った。その女の子がとっても健気で可愛げがあるからなおさらだけれども、例えば親戚の子供が「歌手になりたい」と言うとする。確率的には99人どころか、999人、9999人になる可能性が高い。1%、0.1%、0.001%のギャンブルに人生を投じる気なのか?やさしいおじさんは努力だけでなんとか食っていけるような社会をお勧めしたい。

だがもし、自分がその子だったら?と思った。そんなこというおじさんは終わってると思うだろう。「私が私らしくあるために、私は私であることを決めました」そんな倒錯したことを言い始めて上京、すぐに金が尽きてアルバイト情報誌に目をとおし、日中オーディションやトレーニングを受けることができるバイトを探すか、事務所からお勧めされたアルバイトを始めるだろう。人生に絶対はないけど、そこは絶対夜の店だ。「人とのコミュニケーションや、舞台に上がる感覚。絶対君の勉強になるから」とマネージャーさんは言う。人生に絶対はない。

そして10年後。ボロ雑巾のように酷使された体は限界を迎え、彼女は田舎に帰るのだ。そこに待っていたのは相変わらずの景色とタケシ(29)「東京、どうだった?」と家畜のとさつ場で働く彼の左手には豚の生首があって、彼女はそれをくりぬいて晩御飯にしたのでした。皮はなめしの名人ひこいちさん(63)にお願いしてマスクにしてもらい、村の祭りでそれを被り彼女は踊るのです。トランス状態に入った彼女の踊りは見る物を狂気にあざなって、村民の性的モラルは崩壊しました。「ヤレヤレ、やっと始まったわい」と村長はつぶやくのです。アマゾンで購入したディルドを持ちながら、村長はつぶやくのです。

ということでこんばんは(5:00)!なめし名人のひこいちさんことタンジェント高木です。

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自分らしさを大切にした挙句、犯罪行為に走ってしまった被告の裁判を傍聴しています。人間なんて基本的にろくなもんじゃなくて、唯一労働のみが少しだけマシにしてくれるって言葉をあたしたちは胸に刻まなくちゃいけないよね。こんな文章をかいているヤツならなおさら!