若い時は良いかもしれないけど
将来どうするのかね?
というセリフは大人になっても嫌いだ
朝、ドローンを飛ばした後は、ひたすらPCに向かって仕事。
なんとかアリのようなスピードですすんだ。
少し落ち着いたところでよっしーさんがやってきた。
「今年、蜂の担当になってさ」という。
まあ、去年あたりからはしょっちゅう「新しいライダーが来ました!」と電話かけまくってたから仕方ない。ライスセンター蜂の宿窓口、よっしーさんよろしくです。
「じゃあ、ツイッターで募集掛けましょう!」
とライダーハウスにあった、大家さんのアルバムをさがす。一緒に「あれ、ひょっとして、これはあの人じゃね?」という話題で盛り上がる。
今年のライスセンターは、雪が少なかったので、早まりそうとのことです。7月上旬くらいになるかも。働きたい方、ぜひ、よろしくお願いします pic.twitter.com/P6oM6BKLQ3
— 蜂之 宿 (@hatinoyado) May 29, 2019
ひたすら古い写真を見返して終了。
今日は昨日までと違って肌寒い。
誰も来ないかなあ・・と黄昏ていたら、ライダー1名。
腰を痛めてしまって「会社をクビになりました」とのこと。
「え?アルバイト?」
「いえ、正社員です」
重いものが持てなくなり、正社員の仕事をクビになってしまった27歳。ああ、自分も28歳で郵便局を辞めたから、なんとなくつらさとかわかる。
「ライスセンターとかやらない?」
「ああ、夏は北海道で働いてってやつですか」
「そう、楽しいよ」
「でも、それって将来どうなるのか?ってとあるゲストハウスのオーナーが言ってました」
朝とバイク pic.twitter.com/NUJ4p7ujGM
— 蜂之 宿 (@hatinoyado) May 29, 2019
将来。この言葉を聞くたびに思い出すのは、郵便局で出会ったお客さんたちだ。正確には2人のお客さん。
Aさんは金融機関を立派に勤め上げ、金があった。率のいい金融商品を聞かれたが、そんなものはもうないのを知らないのか?と思った。保険を進めたが「そんなしかならんのか」と却下。Aさんはヒマそうだった。
もう一人はBおじいちゃん、たしか98歳とか。とても健康で今も畑を耕しているとのこと。金の話を一応してみたけど、そんなものはもうどうでもよさそうだった。
将来。その輝かしい理想的なものは、きっとAさんが勝ち取ったものだろう。だけど、あんな将来は欲しくない。
私はBおじいちゃんのように、死ぬまで働きたい。それが苦痛というならばそれでいい。死ぬまで苦痛でいい。その苦痛は俺のものだ。勝手に取り上げるな。苦しみこそが生きている証なのだ。
安定した収入を得られないことが、将来の人生設計を不可視化させているというならば、そんなものは見えなくていい。っていうか、この激変の時代に、マジで将来を予測しちゃってるのだろうか?森永卓郎の大ベストセラー年収300万の経済学を読んでいないのだろうか?マジで?あのおっさんは凄い人だよ。
もし、将来とやらを見据えなかった罰として、苦痛に満ちた最後を迎えるのであればそれでいい。ふさわしい罰だ。でも、見てろ、と思う。俺はそんな奴らの眼前に隆々しく勃起した自分自身をそびえたたせてやる。
死の恐怖や、生きることの恐ろしさを、将来なんてことばでごまかすんじゃない。腰をやってあっさり正社員をクビになったノリくんならわかるだろう?