ライダーハウス蜂の宿

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これからの日本社会を生き抜くために捨てるべき言葉

曖昧な言葉で、責任を逃れてはいけない。

グレーではダメだ。白か黒かはっきり主張する。

間違ってもいいし、非難されてもいいし、敵を作ってもいい。

それよりも大切なのが、曖昧な言葉を使わないではっきりと主張する

ことだ。

 

 

ライターの仕事をやっていると、1文字いくらで取引される。そこで生まれるのが「曖昧さの回避」だ。例えばライターは文字数を稼ぐために「~だということが考えられます」と書く、だがそれは「~です」を引き延ばし、文章を無意味なゴミくずにするだけ。

 

日本語の特徴でもある。はっきりとした主張をする言葉よりも、曖昧にぼかす言葉が多い。それは、島国同一民族内で敵を作らないための自然な発展だった。

 

これからの社会ではそのようなスタンスは評価されない。嫌いな人には嫌いと言う。できないことはできないという。間違っていることには間違っているという。「間違っていると思います」ではダメだ。「それは間違っています」と言わなくてはいけない。

 

それらの主張は敵を作るし、責任を負うことになる。だが、いままでのぼんやりとした言葉よりも、はっきりと自分のスタンスや考えをアピールできるので、目立つ。

ネットで場所を超えて人間がつながる時代だ。存在を知ってもらうには、何かを主張しないといけない。「~だと思います」ではダメなのだ。「ああ、そうですか」で終了だ。「それは~です」とキッパリとする。豆腐を出刃包丁で切るぐらいきっぱりとだ。

敵を作れ、敵を作れない奴に味方は作れない。リアルに会う人だって、事前にSNSで主張をチェックできる時代だ。人に嫌われるのが怖い人は、やさしくぼんやりとした言葉を使う。だまされやすくて、洗脳されやすい。

SNSで日本語は大きく変化していく。まだ、ぼんやりしているのか。