ライダーハウス蜂の宿

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自己検証、自己嫌悪、自己否定

土地の相続というか、名義変更のため法務局に行ってきた。「ああ、裁判所の横にあるあれね!」と車で行く。大きくてきれいな建物、広くてきれいな廊下、ほかに人がいない。と、思ったら「どうしました?」と声がかかる、ガードマン。「土地の名義変更に来ました」「ここではできません、ここは検察です」看板には「法務総合庁舎」とあった。わかりにくっ!こんな間違いはよくあるようで、法務局へのマップが置いてあった。

普段から裁判傍聴を趣味にしているから、この間違いは実り多かった。「ああ、あそこであの検事さんたちが働いているんだなあ・・」と思う。それは憧れではない。妬みでもない。応援だ。

検事の仕事というのは大変だ。あんなアホみたいな資料の海を泳ぎ、どうかしてる被告と敵対して、冤罪のリスクを可能な限り減らさないといけない。優秀じゃないとできない仕事だけど、司法試験に受かった人は弁護士か裁判官になる人が多いらしい。そりゃそうか。

法務局に行く。今度は狭い総合庁舎に入っていて、人がわらわらいる。それにしても狭い。息苦しさを感じるし、火事になったらどうするのだろう?死人が出ると思われる。

土地の名義を変更するのに必要な書類について聞いた。その土地の持ち主の名前なんてマジでどうでもいいことだけど、やらなくてはいろいろメンドクサイことになるのは目に見えている。ここで働く人も大変だ。

家に帰り、またチャットで仕事の募集があったので応募する。すぐには取り掛かれない、やたらと疲れている。MPがゼロ。回復のためには読書、裁判傍聴、宝塚のブルーレイを見るのどれかをしなくてはいけない。が、実家にいるので裁判傍聴と宝塚はできない。読書しかない、読書には最適の環境だ。

中島博行の「検察捜査」を読む。弁護士の書いたミステリで、とても読みやすくなっているし、司法関係者しか知らないうんちくが楽しい。が、これ、法律に興味のない人には堅苦しいワードが多いんじゃないか?

三浦綾子「道ありき」を読む。キリスト教の教えをベースとしたテーマが三浦文学の神髄だとおもうけど、この道ありきは著者の青春から結婚までを書いたもので、それはもうモテモテなのだ。とくに前川正という人物の描写がたまらない。脊椎カリエスで寝込んでいる著者にこれでもかと愛を注ぐ前川氏。恋愛小説でもこんなプラトニックラブはないだろう。

結局読書をしていたら日が暮れて、寝たほうがマシという時間になった。仕事は進まない。

その後数日は家の手伝いだった。冬に向けてやるべきことをやっておかなくてはいけないのだ。webライターは空いた時間にできるけど、MPがゼロでは書けない。日本シリーズをアベマで見た後、プロレスを見たら少し回復したので書けた。

今年一緒に裁判傍聴した住職(あだ名)が「努力する環境に自分を追い込まないといけない」と言っていた。シンプルで実に正鵠を得ている言葉だ。自分を追い込まなければいけない。今の自分だったらMPを回復する環境へ。

そこで今日は早くから家の手伝いをして、仕事モードでぶっとばした。70になる母には口頭で指示だけしてもらって、体をアクセル全開で動かす。10時にやるべきことは片付いた。それから風呂に入って美瑛に帰る。ビールサーバーの業者のケツを叩いてもらって、図書館によって資料を借りる、ガス屋でガスを止めてもらう。洗濯をしてDMMにアクセスする。選択の間図書館で借りてきた本を読んだ。

見城徹の「読書という荒野」で「自己検証、自己嫌悪、自己否定がなければ人は前進しない」とあった。

現状に安住し、自己検証と自己嫌悪と自己否定を忘れるようなことがあれば、生きている価値がないとさえ思う。自分がだめになっていく恐怖、老いていく恐怖と常に戦ってこそ、僕は僕であり続けられる。

 

ガツン!とぶん殴られる感覚があった。気持ちに火がついて仕事再開、そのまま書きまくって納品する。MPがフル回復しているのだ。

自己嫌悪や自己否定はいつもやっている。だが、それはよくないと思っている。ただ、それだけだった。

見城徹ほどの人物になると、それを前進するエネルギーに変換するのだ。見城徹にはなれないけど、見城徹の思考をトレースすることはできる。それが読書だ。読書が好きでよかった。