ライダーハウス蜂の宿

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不安と恐怖の冬が今年もやってきちゃったゾ!

夏だけ営業の仕事なんてしてるから、冬はアルバイトをしなければいけない。

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いままでは郵便配達、玉ねぎ工場とバイトをやってきた。郵便配達は電車で1時間かけて旭川まで行き、8時間働いてまた1時間かけて美瑛まで帰宅するという毎日だった。

通勤疲れでまいった。車もなかったし、あっても赤字だ。やればやるほど仕事のエリアに精通して仕事は楽になるのは良かったが、人件費削減の影響をモロに受けて「じゃあ、ここもお願いね」と仕事量もどんどん増えていった。

配達中に行倒れたこともある。何年かに一度のドカ雪が降って、ヒザくまである深雪をかき分けて配達した。10日くらい連続して働いていたから疲労がたまり、とちゅうの道端で大の字になって倒れた。

「配らなければ」と思うのだが、体が動かない。体が動かないと寒さにやられる。カブの排気で手を温めて凍傷だけは避けた。一度戻って車を借りるしかないと電話する、戻ってこいといわれて戻る、あたたかな局内にはいると緊張が解けてへたり込んだ。

「これはヤバイ」と思った。仕事量が増えるのも、人件費が削減するのも仕方ない。が、命だけは自分で守らなくてはいけない。何とかしなければと思っていたら「玉ねぎ工場のバイトあるよ」と居酒屋のお客さんに教わった。

 

今度は通勤3分、あたたかな工場内での作業だ。仕事自体は3分で覚えて5分で飽きた。だが死なない、死なないし時給も良かった。

頭の中で物語を生産したり、狂ったような文章をブログにアップして時間をつぶした。幸いこの手の「忘我」するスイッチが自分のどこかにあるようだ。大した苦労もなく働くことができた。

 

hatinoyado.hatenablog.jp

何ら成長することはない。が、 停滞を受け入れれば金の稼げる仕事だった。スキルは何も身につかないが、きっちり稼ぐことができる。居酒屋とのダブルワークも可能だし、なにより通勤がこれ以上ないくらいラク。体力も消耗しない。

時間が余って、元気になった。余力ができた。そんなときにずっと前に登録だけしていたランサーズからこんなコラムを読んだ。

www.lancers.jp

文章を書くことで生きることができる。毎朝そのことを神に感謝して書く。ぶっ倒れるまで書く。

・・・・・・

このコラムに感動した私は、もう一度ランサーズを見てみた。過去に「こんなの稼げない」とか「よく知らないから書けない」とか「文才がないから」とかであきらめていたのだ。今回は違った。ひとみしょうのスピリットに触れて心に火が灯っていた。30円とかの「なめてんのか」って思ってた仕事からとりかかった。150円とかで自分の過去の話を売った。1時間で全く知らない機械や場所についてインプットし、アウトプットするという行為を繰り返した。

ぶっ倒れはしなかった。出勤があったからだ。玉ねぎと見つめあう時間にも、朝チェックした案件を頭の中で整理した。

 

そんなことを朝4時に起きてやっているうちに、時給が500円を超えるようになってきた。次のステップに進みたかった。でかい仕事にありつきたい。

だが、どうしても工場をやりながら責任のある仕事にはありつけそうになかった。時間が足りない。どうしようか迷っているうちに工場で2回目の冬を迎えた。

去年できたばかりの時はヒマな仕事だったけど、2年目になって取引先が安定したらしい。月曜から土曜まで玉ねぎと向かい合うことになった。仕事自体はまったく苦じゃない。ただ、もどかしかった。やりたいことがあるんだ。

さらに忘我状態でまったく気づいてなかったのだけれど、一人の人間が腐っていることに今更気づく。止水は腐る、自然の摂理だ。会社内をジョーカーのように弾き飛ばされて、最後にやってきたのが玉ねぎ工場というのは納得。

「でも、そんな人間と自分の何が違うのか?」と思った。「ここを飛び出すリスクが怖いんだろ?」と自分の中の誰かが言った。「ちがう」と自分が言った。ケータイで上司に電話して、その春で辞めることを宣言した。

 

「さあ、これでぶっ倒れるまえ書けるゾ!」と意気込んでいたら、望み通りの大きな仕事に入ることができた。ガーッ!と書く、すると「何を言っているかわかりません」と言われた。

それまでの仕事のサイズではわからなかった問題だった。長い文章で1つのことを説明するにはテクニックが必要だ。それが自分にはない。深い挫折を味わう。

アルバイトをしない最初の冬。実家に帰ることにした。親を病院まで送り、その病院の一角でノートパソコンを開く。仕事は相変わらず小さいのしかできない。専門性を持たない人間の弱さを知った。ただ、親孝行できたのが良かった。

そして今年、アルバイトをしない2回目の冬だ。専門性は相変わらず持ててない。ただ、長いこと仕事をくれているクライアントさんから小さい仕事を回してくれるようになった。まったく知らないジャンルだったけど、仕事のたびに調べまくったのでいつしか詳しくなっていた。

そして、チャットで「この仕事できる人いませんか?」と同じジャンルの仕事が回ってきた。当然手を挙げる、受かった。このチャットのグループは前にやって「すいません、できません」と白旗を挙げて逃げ出したところだ。自分の評価は最悪だろうと思っていたので受かるとは思わなった。

評価とは他人がジャッジしたもので、自分がそこに手を加えることはできない。だから気にすることはないのだ。やりたいことがあれば「やりたい」という。それが通るかどうかは他人の判断だ。自分の仕事ではない。

そんなわけで今日だけで3本の仕事がスタートした。どれも一生懸命やるつもり。専門性はまだないけれど、他人の評価が勝手に自分の専門を作ってくれることもある。ただ、できることをやってきただけなのだけれど、なんとなく「あれ、これってあの仕事の流用でできるね」というのが増える。これも専門性と言えなくもない。

不安と恐怖の冬がやってきた。また深い挫折を味わうことになるだろう。でもそれは必要なのだと思う。経験が必要なのだ。自分には何ができて何ができないのかもわからなかった。ツールの使い方や存在すらも知らなかった。日本語長文の書き方すら知らなかった。

経験しなければと思う。なるべく痛くてキツいやつを。それはとても恐ろしい。