ライダーハウス蜂の宿

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三浦綾子「泥流地帯」を読んだ

社会が近代化を目指しているときはそれが目的になる。目的は夢や希望と言い換えてもいい。

 

三浦綾子の「泥流地帯」という小説を読んだ。大正の十勝岳噴火により、上富良野や美瑛などを中心に甚大な被害が出た。その被害のほとんどは噴火によってマグマが噴出し、それが雪を溶かして泥の津波となって雪崩落ちたのだ。

 

で、この小説は被害にあいながらも必死になって土地を復活させる話ではない。被害に会うまでの話だ。北海道に移住してきた一家の2代目と3代目、キツイ生活をちょっとづつ改善していった人たちの話。

 

そこには貧しさや差別があり、生きるために家族が力を合わせなければいけなかった。病気や厳しい自然があり、死が今に比べてとても近い所にあった。主人公の家族も父親を失い、母親がいなくなり、祖母がボケるという悲惨な環境だった。朝から晩まで体を酷使して働いても、生活はずーっと貧しいままだった。

 

ただ、それでも一歩一歩生活はラクになっていったようだ。移住した最初のころは集落がまだ小さく、住居もボロボロ。そこからさらに移住してきたり、子供たちが大きくなって労働力になり、社会がどんどん複雑化して便利になっていくのだ。

 

そんな果てしない積み重ねを泥流がぶち壊す。それでも希望を捨てずに生きる。そんな話。

 

「泥流地帯」を読んだ後で「希望の国エクソダス」を読んだけど、「この国には何でもある、ただ希望だけが無い」と主人公は言った。来年オーストラリアにいくやっちも「この国ってヤバくないですか?働きすぎでしょ」と言っていた。どちらも泥流地帯の世界から帰ってきたばかりの私にとってまぶしかった。

 

大正時代に北海道に移住してきた人たちは「生きる」ことを目標としていた。自然と格闘し、着実に生きる術を増やしていった。今、社会が近代化して「生きる」ことは楽勝になった。コンビニで8時間働けば、とりあえず死ぬことは無い。実家なら軽自動車ぐらいは持てるだろう。そんな世界で目標を見つけることは結構大変だ。自分が何者であるかを見つけなければいけない。今私は究極的に汚いライダーハウスと居酒屋をやって、日中はカヤックやら登山やらドローンやら裁判傍聴やらをしている(冬はひたすらこもってる)。この状態は10年ほど前の私から見たら夢のような状態だ。明日死んでも大丈夫。生きること自体はため息が出ちゃうぐらい簡単なのだ。夢を見つけることは泥に埋まった畑を掘り返すぐらい大変。