ライダーハウス蜂の宿

閉鎖しました 

自己憐憫は行き止まり

いま私は無職です。でも自分を「可愛そう」とは思いません。

f:id:hatinoyado8:20180226214334j:plain

かねてより参加させていただいていた仕事の一つを辞めることにしました。最初の話では3月までライターとしての契約だったのですが、変化についていけず離脱です。

仕事を途中で投げ出すのはどうしても避けたかったです。ですが私がかかわることで他の人に迷惑になると思い「すいません」とディレクターに頭を下げたのです。

これで今の仕事はホンワカと続けている1本のみ。まったりとしたもので仕事とはあまり言えないでしょう。いままでだったら焦って他の仕事を見つけるところです。

ですがここ2週間ほどゴタゴタとしていて、なにも新しいことができませんでした。自分の無力さにため息が出つつも、youtubeでテレホン人生相談などを聞きながら将棋とかしてました。

 

自己憐憫は行き止まり」

 

とタイゾー先生が言いました。人生相談の相談役で心理学者、心のスペシャリストです。先生はテレホン人生相談の最後にこんな言葉をポンっとつぶやくのです。

 

私はこの言葉について考えました。自己憐憫、自分をかわいそうなヤツと思うこと、例えば老人の良くいうセリフ「もう年だから」。あれも自己憐憫

年齢というどうしようもないもの、責められようのないものを使って自己憐憫を演出している。残りの少ない弱い存在だから・・・と。

うん、行き止まりだ。年齢を憐れむぐらいなら、平均寿命まであと何年残っている!と考えたほうが良い。建設的。

「無職だから」というのも同じ。「これからどんな仕事ができるかな?」とワクワクすればいい。

「文章力が無いから」とクライアントに営業するのを怖がるのも同じ。

「カネが無いから○○できない」

「家族がいるから○○できない」

「○○だから××できない」というのは、どこか自己憐憫につながっている。それは行き止まりだ、なにも生まないし進まない。

さよならだ。一生そこでかわいそうな自分をやっていろ。そう自分で自分に別れを告げた。

広告