誰も責任を取ってくれる人はいません。なぜなら、そのほうが気軽だし、心配事も減ります。
でも少しづつ、責任というものを背負ってみることにしました。
文字単価3円の仕事に手を上げて「自身は無いけど、やらせてくれたら質の良い記事を書きます」といいました。自身は無いけどという部分が駄目ですね。そんなので、質の良い記事をどうやってかくのでしょうか?
でも「質の良い記事を書きます」は必要な言葉だと思いました。なぜならライターを選別する人が最高責任者とは限らないからです。きっと誰に外注するのか決定権のある人が決めるのでしょう。
だから「質の良い記事を書きます」といいました。もし、質の良い記事を書けなくても、それは私の責任になるからです。トラブルが起きて担当者が上司から詰められても「この人が質のいい記事を書くっていったんです」と言えます。
もし失敗しても悪いのは私です。だからやらせてください。
土田世紀の漫画「編集王」でこんなシーンがあります。編集会議で「お前責任とれんのかよ?」と先輩に詰め寄られる主人公、それに対してガバッ!と席を立ち
「責任とったらやらせてくれるんですか!」と喜びます。
「ばあ~か、言葉のアヤだよ」
「ちっ・・」と悔しがる。
私が思うにやりたい仕事を取るってこうゆうことだと思うのです。選んでくれるのを待っても駄目です、手を上げるだけでも駄目です、履歴書を書くだけでも駄目、ハロワに通っても駄目、ひたすら土下座をすればなんとかなるかもしれませんが、本質とは違います。
やりたい仕事を取るには、その責任ごと全部ぱっくりいただくしかありません。
失敗したときのダメージ、間違っていた時のダメージ、全部クライアントからいただきます。積極的にとかげのしっぽになるのです。「いつでも切り離していいですよ」と安心させて、全力で仕事を完遂させるのです。
クライアントがなにも教えてくれないのは当然、守ってくれないのも当然です、だってお金払ってるんですもの。
さて、1円ライターの仕事をしていたら「もっとちゃんと教えてください!」と言っている人がいました。うーん。その人の描いた文章をみると、とてもよくかけているのですがクライアントのほしいものではありません。
確かに指示は少ないのですが、何が求められているか?は自分で調べればなんとかなります。掲載先が分かるのですから、一回は写文するべきでしょう。
教えてもらうのを期待してはいけません。こっちから考えて教えてあげるくらいのほうが評価されます。
さらには責任のある立場の人からは言えないこともあります。たとえば「ここは適当にやっていいから」などは言えないでしょう。
それを言えるのは下にいる私のような存在です。そしてクライアントとチャットでつながっているので、コミュニケーションは容易に取れます。なので、先日編み出した効率のよい手法をシェアしてくださいと文章にまとめて送りました。
笑われるかもしれません
「あいつ、自分が仕事できるって勘違いしてるんじゃね?」と
でも、いいか。私の言うとおりにやってみてよ、責任はとるからさ。
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