正義の味方には勝てない、という話。
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旅に出たり会社を辞めたりするときに
それまで積み上げてきたレールからちょっと外れて「 旅に出たい 」って言ったり「 仕事やめる 」って決断したりするときって、だれかに相談したり引き止められたりするじゃない? 旅や退職って相当な決断だからちょっと臆病になっちゃう自分もいるんだけれど、それでも自分の頭で考えられることはもう考えつくしちゃって、それはほぼ決定事項なんだけど「 客観的な意見も聞いてみようかな? 」ってことで話をしてみたら「 とんでもない! 」と正面から反対されてしまうなんてこと。 そんなこともあるじゃない?
「 せっかくココまで来たんだから 」といわれ
「 あとちょっと我慢すれば 」とか
「 それ、5年後でいいんじゃない? 」とか
「 今がんばれば後は楽になるから 」とかね。
それは正しい、自分でもわかっているんだ、それは正しいねって。
正解だ、でもやらないわけには行かないんだ。 その理由は相手が話す正論に対して、ちょっと貧弱なロジックで構成されていて、最終的には「 やりたいから 」って子供のような言葉になってしまう。
アタシはそれも立派な正解だと思う。「 やりたいから 」は立派な理由だ。命を賭ける価値がある。
でもそれはやっぱり伝わらなくて、「 なにそれ!? 」って怒られたりするよね。
どうしたら分かってもらえるんだろうか? どうしたら賛成してくれるんだろうか?
おそらくその方法はない。 正義と正義がぶつかっているとき、意見を通すのは恐ろしく長い時間が必要で、そうじゃない場合は
・権力で屈服させるか
・暴力に訴えるか
・相手の心を折る
つまりは押し通すしかない。
正義と正義のぶつかり合いは
「 われこそは正義である! 」と信じてる人間の力はものすごいものだ。
自爆テロをするテロリストにだって正義はあるんだろう。
殺人を犯した人と、その人を殺す死刑執行官の違いは正義があるかどうか?だ。
法律で明文化されてなくとも、正義とラベルが貼られてしまえばその力は抑えがたい。
「 旅に出たい 」と言い出す若者を止めるのはその人にとって正義だからだ。
「 会社を辞めたい 」と言い出す人を治めるのはその人にとって正義だからだ。
そんな人に対して「 わかってくれ 」というのはエゴなのだ。 ISの支配地域に行って愛を語るようなものなのだ。
では、どうすればいいのだろう?
距離をとるしかないのだ。
そのままいれば、あなたの正義が相手を打ちのめしてしまう。 相手のことを思うのならば、あなたはそこを離れるべきだ。
あなたの正義は、あなたの正義が通るところで思う存分力を発揮するだろう。
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