麻雀について調べてみたんだ
最初「 ツキ、運 」ってなんだろう?って疑問に思って、
グーグル先生に聞いてみたら麻雀のプロのサイトへ。
そこで「 麻雀は運を育てるゲームである 」と、つまり
「 配牌には『 あろうとするカタチ 』があり、なるべくそれを妨げてはならない 」って
『 あろうとするカタチ 』?なんだそれ?オカルトだなあ、まあ、「 運 」なんてもともとオカルトのようなものだもんな。 おもしろ半分、仕事の暇つぶしに考えてみたら、結構いろんなものが『 あろうとするカタチ 』を持っているんじゃないか?って話。
広告
あろうとするカタチ=本能
たとえば植物。 種として地面に落っこちてから、植物は成長が終わるまでぐんぐん伸びていく。 それは『 あろうとするカタチ 』といっていいんじゃないか? もちろん日照条件が悪かったり、鎌で切られたり、すべての植物が完成形になる前に終わってしまうんだろうけど、それは問題じゃない。 大事なのはそのカタチに向かって成長を止めなかったってことだ。 本能に従ってぐんぐん細胞分裂を繰り返し、太陽に向かって手を伸ばしていくってことが大切なんだろう。
人間だってそうだ。
いろんな欲に焦がされながら「 もっともっと 」と成長していく。 ただ、やりたいことばっかりやってたら社会なんて犯罪者だらけになっちゃうんで、盆栽のように本能を矯正して「 こうあるべき 」カタチになろうとするじゃないか。
麻雀でやりたいようにやってたら振り込む
麻雀だってそうだろう。 「 この役つくりたい! 」て一直線に作っていったら、どこかでだれかに振り込んでしまう。 だから、「 ここはちょっとガマン 」とか矯正しなくてはいけない。
それは本能に対するブレーキのような行動である。
確かに麻雀において振り込まないことは、赤信号では進まないってことぐらい大切だ。 常識的なことだ。 だが常識ばかり守っていたら本能の勢いはすぐに消えてしまう。
そんなやりたいことを常にガマンして、誰からも褒められる常識的な人間を運命の女神様は生理的に嫌いなんだろう。
リスクをすべて回避して、美味しい思いをしようって人いるじゃない? そうは問屋がおろさないよってことなんだよ。
あろうとするカタチに向かう力をなるべく止めてはならない
だからその力をなるべく妨げてはならない。 常識的な矯正は必要かもしれないが、なろうとする意思ってのはその生物においてなによりも代えがたいエネルギーで、それを無視しては何も生まれないのだ。
サカナみたいなやつはサカナみたいなことがやりたい。
鳥みたいなヤツは鳥みたいなことがやりたいのだ。
公務員みたいなヤツは公務員になりたいのだし、
破滅的なヤツはとっとと破滅したいのだ。
こころのなかにぼわっと浮かんだ「 あ!これやりたい 」を無視してできることなんてほとんどない。 運命の女神をオとすにはそんなエネルギーをなるべく生かして、大事に育てることだ。
で、アタシはなぜか最近フルートが欲しい。 なぜかはよく分からない、たぶんアニメの影響だろう。 こんなキモチも捨てないで、ちょっと育ててみようって思うんだ。
広告