ファッションの名言に
「 黒に始まり、黒に終わる 」ってだれがいいはじめたんだろうね?
生まれて初めて服とかに興味がでて、さいしょは黒っぽい無難な色を選んで、
それからいろんなパターンを
研究して、
練り上げて、
進んだ先にあったのは
「 やっぱり黒がいい 」ってなスタート地点だったって
「 サルの惑星 」のような話のオチ、印象的なコピーだから
( それが真理かどうかはさておいて )世の中に広まり、残る言葉なんだろう。
で、バイクの名言で誰がいったか知らないが
「 カブに始まり、カブに(で)終わる 」ってのがあるよな。
もっともありふれたバイクだからカブに乗って、
それから排気量を大きくしたり、車に乗り換えたりしたけれど、
「 やっぱりカブが最高だ 」って気付く。
その回帰、シャケのような原点への帰還ってほんとにあるのかな?
あるとおもうよって話。
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カブに始まり
もちろんカブにはじまらない人もいるだろうけど、ここは限定条件の話でさ。
( カブで始まった人に限り )カブに始まり、カブに終わる
って事でよろしく。
1958年から始まったカブの歴史は、若者のライフスタイルを根本から変える力を持ってたんだってな。 そのデザイン、そのタフネス、その利便性。 ベトナムでは
「 カブを持ってないのなら就職できない 」ってなったほどなんだ。
アタシも郵便局のカブに乗るために免許を取って、それからバイクにはまっていった口だから、最初のバイクはカブなんだ・・・・・・
いや、ごめん。 大学生のとき親の「 タクト 」に乗ってた。
ははははは! カブにはじまってないじゃない! これからの話の説得力がガタ落ちしたけど、バイクにはまった理由がカブ
ってことでよろしく頼むよ。
それから先輩のNS400Rにのって、CBR400RRのって、リトルカブを買って、それとMD90と交換して、ハスラー50にのって、カブ110を新車で買って、今のXLR250と二台持ち状態なんだ。
バイクライフはここで終点だとおもってる。
これから先、何が起きてもきっとカブといっしょのはずだ。 たとえ車を買っても、カブは必要だ。 カブはなくてはならない。
カブに終わる
バイクに乗らなくなる理由はいっぱいある。
「 バイクは雨が降ったら乗れない 」
「 人を運べない 」
「 物がつめない 」
「 怪我 」
たしかにもっともだ。 だからさ、車に乗ればいいんだよ。
人生でもっとも忙しくて、バイクに乗ってる暇がない20代から50くらいまで。 仕事や子育てや社会的責任が生活をあっぱくする時期に、無理してバイクに乗る必要はないと思うよ。
背負うものが多ければ多いほど、バイクに乗ることは出来なくなる。
それに寂しさを感じことはあるだろう、でもしょうがないじゃないか? 背負うものがあるってのは人生のカルマ、やるべきこと、タスクを片付けているってことだ。 「 生きている 」って言ってもいい。
この前、SV( あだ名 )が来たときにさ
「 もう、バイクに乗らなくなってしまいました 」って言ってたんだ。
彼は大学生のときにバイクで美瑛に来て、日本中を走って、就職して、最近はゴルフに行ったりしてるんだって。
ゴルフに行くのにバイクでいくことはないだろ?
バイクに乗りたいから、ゴルフをやめることもない。
ゴルフは仕事にも使えるし、ゴルフをやるんなら車に乗るのが自然だ。
でさ、話は変わるけどあなた、三十年後はなにやってる?
このSV( あだ名 )はまだ二十台だけど、おそらく50代になってるだろ?
仕事の終わりが見える年だ。 背負ってる責任を下ろす歳でもある。 アタシが保険や時代にこの年代の人たちを見たとき
「 仕事を下ろせてない 」ひとがいっぱいいた。
身に着けた責任や、役職。 仕事のスキルを捨てれずに、大事に腐らしてる人たちだ。
しょうがないよな、いきなり素の人間には戻れないよ。 男にとって、やり遂げた仕事ってのは、自分自身かそれ以上のものだ。
アタシも今はしあわせなことに「 ライダーハウス蜂の宿 」の管理人として、いろんなことをやりたいだけやらせてもらっているけど、何かの拍子にできなくなってしまう可能性も十分ある。 ただの自営業だからな。 こんな人はいっぱいいるだろう。
職を失って、住処を失って、自分は何やるんだろう?
わからないよ。 ただ、命を失うまではないだろう。
生命力を惜しむことなく注ぎ込んで、実に納得のいくのが出来たと思ってる。 いつ死んでも「 いただいた命は使い切ったよ 」と笑っていける気がするな。 でも、どこかで、何かをして生きていくんだろうと思う。
そんなときの自分の傍らに、きっとカブはいる。 背負うものが無くなっても、命一個のせて運ぶにはカブが最適だからだ。
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