さあ、今日は職場の人たちが宴会にウチを使ってくれるということなのよ。
だいたい10名様ってことで、さっくり料理を出した後は、ワタシもビール片手に
混ざってきたわ。
広告
雇用形態がちがうので
職場の人といっても、雇用形態がちがうのよ。 ワタシは工場のバイト、彼らは農協系のヘルパーなのよね。 彼らは同じアパートにすんでいて、日本全国各地から美瑛にあつまったどうしなのよ。
だから、玉ねぎ工場で宴会とかもなくて、プライベートでもかかわるチャンスはなかなかなかったから、今回まとめてお知り合いになることができて楽しかったわ。
んで、アルコールがまわってきて、いつもおじさんからいじられている若者とべらべらいつもの感じでしゃべってたら、彼はこんなこといったのよ。
「 ・・・運命的な、出会いとか、したいっすね 」
って
運命ビリーバー ソーヤング
こんな風に「 運命 」ってヤツを、まるで落雷に襲われるかのような制御不能の幸運ってとらえているのは、若者にありがちな勘違いだと思うのよ。
いえ、意味としてはそれでいいのよ、運命って
-
1 人間の意志を超越して人に幸、不幸を与える力。また、その力によってめぐってくる幸、不幸のめぐりあわせ。運。「―のなせる業」「―をたどる」
- ただ、運命ってのは、過去をふりかえるときに
- 「 ああ・・・思えばあれが 運命 だったのだ・・・ 」
- って使われる言葉だと思うのよね。 それを
- 「 運命的な出会いがきっとくる! 」って
- 使い方だと、まるで何も行動しなくても100%そのラッキーが訪れる!って
- 思っちゃうんじゃないかしら?
ただの言葉よ?運命って。 人生をドラマチックに修飾するためにとっても便利な言葉だから、過剰にもてはやされてきただけなのよ。
だから、「 運命なんてない 」って信じれば、運命なんて存在しないし
「 これは運命だ! 」って信じれば、それは間違いなく運命なのよ。
この世は運命にあふれてる
たとえば道を歩いていて、交通事故に巻き込まれたとするじゃない? それを
「 運命的な事故だ! 」って捉えるひとはあまりいないと思うの。
でも、友達に誘われた合コンでかわいい彼女と出会って、結婚までしたのなら
「 あれが運命的な出会いだ! 」って思うじゃない?
違いは行動なのよ、行動。
人は行動の結果おとずれた必然に「 運命 」ってラベルを貼りたがるのよ
確立の問題じゃないのよ。 捉え方なの。 事実をどうキャッチするかで、それは運命にもなるし、ならないしなのよ。
なにか日常と違う事を起こし、日常と違う情報を得るじゃない?
普段会わない人に会ったり、知らない人としゃべったりするじゃない?
そうして広げていった世界が自分を創っていくのよ。
振り返ればいくつかのターニングポイントはあったと思うわ、でも、それは行動の結果あらわれた必然なのよ。
たとえば、妻も子供もいるスーパーの店長 たけし(43)が新人バイト しず子(36)にレジの打ち方を教えるとするじゃない?
彼女は子育てで失った妻の成熟期をそのままにしてもっているのよ。
タッチパネルの上で触れ合う指先から、それをお互い感じ取ってしまうのね。
そしてたけしは退職金まで担保にして妻に離婚を申し立てるのよ
「 運命の人に出会ってしまった 」と
なぜなら、子育てをしてスーパーの店長にならなければ彼女と出会うことはなかったから・・・・・・
これも、客観的に見たら
・・・・いやいや、それはただの性欲でしょ?
だれだって普通にある、普通の欲望と。
36未婚の女性ならだれでも持っている妖艶と。
仕事をしてれば普通にある出会いでしょ。
って、「 運命 」なんて言葉にポワンと酔っちゃってたら判んないわよねえ。
つまり、「 コレが運命だ! 」って思えば、すべては運命なのよ。
運命的な出会いを求めてアレに行け
だから運命を感じたいなら行動をしろって話よ。
女性と言う女性に話しかけて、ラインいうラインを交換しまくって、自分の中身を全部言葉にしてぶつけてこいよと。
それを受け入れてくれる人がいたら、それは運命なのよ。
べつにそれが通学中の曲がり角で、食パンを咥えた転校生とぶつかることから始まる出会いじゃなくていいの。
新幹線の隣の座席に飲み物をこぼすことから始まるラブストーリーじゃなくていいのよ。
ただただ、行動して出会いまくれと。 それが運命なのだと。
そんな意味をこめて「 街コンに行け 」と彼には言っといたわ。
広告