ライダーハウス蜂の宿

冬季休業中です、ご利用案内→ http://hatinoyado.hatenablog.jp/entry/2016/01/29/235943

そろそろライダーハウスをやらないと・・・

いやいや、まだ4月だし、結構寒いし、めんどくさいし

ライダーなんてまだこないっしょ?ってぐーたらしてたら、昨日来たわ

まっっっつたく意識の外だったので、スイッチがまー入らない。

だめね、そろそろ動き出さなくちゃ

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っつっても掃除くらいか、やるべきことは。

うんうん、見事にモノとゴミが爆散してるわ。

落とした看板、もえそうなゴミ、もえないゴミ、よくわからない何か、バッテリー

・・・・どうしてバッテリーが? 旅先でバッテリーを交換する人もいるのね。

しかしまあ、私物を押し込んで、とっととやっちゃえばいいんだけど、

ありがたいことに週4で入るたまねぎバイトは、4月になっても順調なのよ。

だから仕事がおわったあとに、自分の仕事の作業に入るんだけど、スイッチが

なかなか切り替わらないのよね。

しゃーない、最低限のことをして、明日の宿題にするわ。

 

来週の水曜日にはサーバーが来るんだけど、

休みだったのに「 水曜日仕事だよ! 」って今日言われちゃって

さすがに、お断りしたわ。

たまねぎ工場、絶好調なのかしら?

それはいいのだけれど、べつに日本語がしゃべれなくても出来る

カンタンな軽作業なので、いつか足もとがぐらついてくるかもしれないわね。

たまねぎは良い仕事だけど、やはり自分の仕事を作らないとメンタルてきに不健康ね。

 

三浦しおん「 舟を編む 」をよんだわ

辞書と言うものは海外では国策として編まれるものなのだけれども、

日本では出版社が編んでいるのはなぜか?

それは「 われわれの統一言語はこれである! 」って宣言しなくても、

べつに日本語がしゃべれれば、日本人でいいじゃない?って

単一民族特有のゆるーい危機感があったんでしょうね。

それゆえ、言葉は自由に生まれ、育ち、消えていくんじゃないかしら?

ワタシ的には「 今日もあげぽよ、キュン死なう 」って言葉が

とっても好きだったんだけど、どっか行っちゃったしね。

さりげなく時代劇とかにまぜてくれないかしら? 

「 其の方!御前試合にて雌雄を決する!あげぽよであった! 」

「 ははっ! キュン死でございます! 」

「 では、始めッ! 」

「 ・・・・・拙者の一つの太刀・・・とどくであろうか・・・? 」

「 ゎたっしいの、うごくの、まぢみえる? 」シュンシュン!

「 !!!!消えた? 」

「 ってか、がら空きッスwww 」スッ

「 フフッ・・・・・見事なり 」ドサッ

「 急所外したのに倒れるとか・・・修行っしょ 」

「 !? 」

「 コ・ロ・サ・ズ 」

 

って、やっぱりギャルがでてきちゃうわね。

つまり言葉は時代を映す湖面であり、不確定の流動体であるのでしょう。

それを「 この言葉はこうなのだ! 」って決定しちゃうと、

ちょっと本質を欠くわね。 

言葉と言うのは正確さだけでは感動しないし、多すぎても少なすぎても伝わらない。

美しい言葉だけをみていたら時代に取り残され、使うことを恐れていたら孤立する。

ぶよぶよとしていて、とりとめのないものなのだけれど、使い方によってはナイフにも

接着剤にもなるよくできたツールなのよね。

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