モトハチ(元蜂の宿管理人のブログ)

閉鎖したライダーハウスの元管理人のブログです

愛と死と認知症予防について

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介護の疲れから77歳の妻を殺害し

逮捕後、食事を拒否した男性(83歳)が死亡した

 

認知症の恐ろしさ、悲しさが伝わってくるニュースだ

 

「 すべてを忘れてしまう前に死んでしまいたい 」

半落ちという作品に、この事件と同じようなシチュエーションがある。

物語中で読者はつきつけられるのだ。

「 殺してくれ 」と言われて、殺せますか?と

愛した人の首に手をかけられますか?と作者に問われる。

どちらにしても救いはない、手をかけようが、かけまいが、どちらも

愛そのものであるにもかかわらず、そこに救いはないのである。

 

では、できることなど一つしかない。

認知症にならないためにはどうしたらよいのか? 

グーグルせんせー!

 

赤ワインを飲み、将棋を指しながら、有酸素運動をする

info.ninchisho.net

 

認知症予防に社会を挙げて取り組むならば、

これからの宴会スタイルはこうなるだろう。

とりあえずビールじゃない、赤ワインだ、それもフルボディ。

そして対局する。 会話も効果的。 当然

「 この前のNHK杯見た? 」

「 見た見た、解説が羽生名人って豪華すぎでしょ! 」

「 ねー! 」

といった会話になるだろう。

 

ここで難しいのは 「 有酸素運動 」になる。

休みの日は家族サービスで、散歩や水泳をするヒマなどない人も多いだろう。

しかし、将棋を極めた者のみができる「 目隠し将棋 」というものがあって、

脳内に将棋版を再現し

「 7六歩 」「 3四歩 」と会話のみで将棋を指すこともできるのだ。

ピクニックに行き、夫婦の会話を将棋で交わすのもいいだろう。

「 パパー藤井システムおしえてー 」と子供とも会話ができるかもしれない。

 「 よーし、パパ、居飛車穴熊さしちゃうゾ! 」と思わぬ団欒になるでしょう。

認知症患者は増加している

先ほどのHPでは、400万の認知症患者がいて、

将来的には1000万を超える予想だ。

 

悲しみの増加は避けられないのだろうか?

将来、愛する人に手をかけなくてはいけない状況がくるのだろうか?

とにかく、予防はしておいて損はないだろう。

先ほどのHPより、抜粋

1.食習慣   野菜・果物(ビタミンC、E、βカロチン)をよく食べる
  魚(DHA、EPA)をよく食べる
  赤ワイン(ポリフェノール)を飲む
2.運動習慣   週3日以上の有酸素運動をする
3.対人接触   人とよくお付き合いをしている
4.知的行動習慣   文章を書く・読む、ゲームをする、博物館に行く など
5.睡眠習慣   30分未満の昼寝 起床後2時間以内に太陽の光を浴びる

赤字の部分をごらんいただきたい、

文章を書く・読むことは認知症の予防なのである。

・・・それってつまり・・・

 

ブロガーは認知症になりにくい

ってことですよ! 

それも他人に読まれるような文章を毎日書いているわけですから、

そら、頭使いますよ!

みんな書きましょうよ!ブログですよ!ブ・ロ・グ!

「 月2,3万はカンタンに稼げます 」ってあの人も

言ってるじゃないですか! ・・・・信じてるよ?

 

まあ、とにかくブログを書くことはいいこと尽くめですって。

まあ、多少はリアルの人間関係にちょっと影響ありますよ。

「 あ・・・・こいつ頭の中でセイッ!セイッ!って言ってるんだあ・・」

って思われちゃいますから。

 

hatinoyado.hatenablog.jp

 でもいいじゃないですか、

我々の相手は認知症ですよ?

自分を隠して戦える相手ではないでしょう。

自分の人格を余すことなく吐き出して、吐き出して、真白な灰になろうが

愛する人を忘れてしまうよりはましなはずです。

 

死のない生はないし、生のない死はない

人間はいつ死ぬかわかりません。

突然交通事故で亡くなる人がいます、また

テレビを見ていたら絶命した人の奥さんと話したこともあります。

パラグライダーをやっていたとき、ほぼありえないことですが、

突然落下することもあります。

カヤックで堰堤に吸い込まれたときは、すぐそこに死がありました。

 

hatinoyado.hatenablog.jp

 それらの遊びをしているときに死んでしまったら

「 ああ、しょうがないな 」と満足するかもしれません。

 

ブラックジャックによろしく

という漫画では

「 もし、自分が死ぬのならガンで死にたい 」というセリフがあります。

なぜなら、死までの時間を残された人に使えるから。 

 

つまり、思うのですよ。

それまでの生をいかに残せるかが、クオリティ・オブ・デスを高めてくれるんじゃないか? と

 

他人に伝えたり、ブログに書いたり、野菜を作ったり、たくさん仕事をすることが

納得のいく「 死 」の迎え方なんだと思うのです。

 

旦那さんに首をしめられて、人生を終了させた奥さんはどうだったんでしょう?

恐ろしかったと思いますよ、

つらかったと思います。

苦しかったでしょう。 絞めるほうも絞められるほうも。

でも、納得は出来たんじゃないでしょうか。

愛する人に送ってもらえるなら、納得の行く最後だったと思います。

 

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