とある対談漫画を読んでいたら
水木しげるの回があった。
「 ゲゲゲの鬼太郎 」の作者としか知らない。
水木しげるの壮絶な過去と幸福論にとても感動した。
どのくらい感動したかと言うと
半紙にその言葉を書きなぐったぐらい。
んーわれながら奇人だ。
その言葉
そのときの僕は、
「 仕事をやめてカヤックガイドになろう 」
と無謀な挑戦をやろうとしていた時だった。
心のどこかで「 カヤックガイドなんてなれるわけがない 」と
誰かがささやいていたが、聞こえないフリをした。
人生で初めて立てた自己宣言であり、ブラフであったので、
「 やっぱやーめた 」と放り投げたくなかったのである。
自分の外堀を埋めるため、このプランを印刷していろんな人に見せまくった。
そんなときにこの言葉である。
成功や栄誉や勝ち負けを目的に、ことを行ってはいけない。
感動した、なぜなら今まさに “ こと ” を行おうとしている時だった。
それは成功を求めて起こすのか?
栄誉のためか?
勝ちたいからやるのか?
すべてノーだ、ただ、やりたいからやる、それだけの理由だった。
使えないほどのカネを得るためでも、誰かに感謝されるためでも、勝ちたいから
やるわけでもないのだ。
せっかく仕事をやめるのだから、好きなことに殉じていきたかった。
人に見せまくった企画書のお粗末な数字は、他人に見せるための数字ごっこであり、
本当は
ただ、好きだからやる
それが言えない、からの、数字ごっこだった。
本音なんて理解されるはずはない
当時の自分が目の前に現れても、ちょっと説教してしまいそうだ。
「 そんなの失敗するよ 」と
そんな誰にも本音で相談できない状態で、水木しげるの言葉はズンとひびいたのだ。
成功や
栄誉や
勝ち負けを目的に、
ことを行ってはいけない。
ただ、好きだから、やらずにはいられないから、やる。
それでいいんだよ、と。
自分のベクトルは間違っていない
カヤックガイドになるという、自分でも意識できる無謀な計画。
これから問題と言う問題が発生するのは目に見えるようだ。
でもいいのだ、好きなことに挑戦して失敗しても胸を張れる。
悪の手先のようなことをしたまま、人生が終わってしまったらどうする?
うつむき、へつらったままでおわってしまうぞ。
そう、これからは成功しなくても、勝利しなくてもいいのだ。
よし、これを座右の銘にしよう
そして僕は筆を持ち、半紙に何枚も書きなぐったのであった。
年齢にして30手前の、
ちょっとだけ光が見えた気がした夜だった。