モトハチ(元蜂の宿管理人のブログ)

閉鎖したライダーハウスの元管理人のブログです

ライダーハウスの経営についてちょっと考えたときのあらすじ

さてさて、

ライダーハウスを始めて2回目の夏ですね。

そんなときに書いたあらすじです

 

1年目の冬はもどかしさと苦痛を伴うものでした、ライダーがいなくなり居酒屋のみの営業をしていましたが、どんどん赤字が増えていく状態でした。 ボーダーさんもたまに来てはくれるのですが、赤字が消えるほどではありませんでした。 それでも、夏になれば、夏になればと自分に言い聞かせ、雑誌に載せたりしながら夏を待ちました。 函館のライダーハウスのオーナーが来てくれて、いろいろ話をするうちに「しっていただかなければいけない」ということを教わりました。 たとえどんなに頑張っていいものをつくったとしても、それを知らなければ人は買わない、買うことが出来ない。 とにかく知っていただく、それが重要なのだと。 そんなこんなで冬が終わり、春が過ぎて、6月にはいると1年目とは明らかに違うことがひとつありました。 

連泊者がいる

ことでした。 お客さんの数も増えて、そのほとんどは雑誌を見てきてくれた人たちでした。 連泊者がいることでいろんな情報も入り、サービスもしやすくなりました。 また、このときはパラグライダーのタンデムに連れて行かれるお客さんが多くいて、ベテランフライヤーに感謝の気持ちでいっぱいでした。 と、どうじに自分でタンデムフライトをやってみたい希望がめばえました。

 居酒屋とライダーハウスでしこたま働いた後、フライとしては仕事の毎日でした。 そんな絶好調のある日、彼女が出来て、またある日、ライダーが少なくなってしまった10月に、居酒屋の半年間の閉店が決まりました。 前年度を見れば当然でした。 フリーターとしてすごす冬は本当に不安定で、どうなることかと思いましたが、1年目の冬のとき居酒屋に来てくれていた数人が長期滞在をしてくれることになり、ぼくはついに暖かい部屋で寝ることが出来たのでした。 この冬が終わるころに30歳になり3年目のライダーハウスを迎えることになります。 

 そうそう、このとき函館のライムライトのお二人

が来てくれて、いろいろ教えてもらったんですよ。

彼女も作ってるし、忙しいことです。

このときの彼女が初彼女で、いまでも付き合ってます。

でも、まいにち不安でしたねー。 

 

パラグライダーのタンデムは結局できませんでした。 「 無料で飛べる宿を作る! 」って息巻いてたときもあったんですが、カヤックをとりましたね。

ではでは