やっぴー!モグモグ、モグモグ
( 挑戦中!ごぼうを噛まずにどこまで食べられるか!? )
アタシ、アタシだよ~!!
( 猛烈な嚥下 )
さて、前回までのライダーハウス蜂の宿は
「 幕府をぶっ潰す! 」といって、全財産の4/3を費やして完成させた
軍艦「 ポンポン丸 」に乗り込んで、全員でオールを手にするところまでだったんだけど、
オエエエエエエエエ!!!( 再び、強烈な嚥下! )
なんと、今日は何もしてませーん!
「 雨だから 」って理由で母親にジャンプを買わせにいかせるニート( 38 )のように、な!に!も!
してませーーーーーーーーん!
「 ヤーーーーーーーーーーー!!! 」
( オールを合わせて士気を高める我ら十本刀! )
読書ッ読書ォォォォ!!!!
阿部公房 「 榎本武揚 」をちょっと読んだよ!
あと、甲殻をちょっと見た
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自分を形成する森羅万象
アタシたちが認識する「 自我 」もしくは「 じぶん 」ってのは、いつどこで発生したんだろうね? 母親の胎内から出て「 ギャー 」って叫んだときだろうか? それとも薄いグラディションのようにいつの間にか存在するんだろうか? はじめてのチューをしたときだろうか? 学校祭の最終日の夜だろうか?
自分が自分である! ってはっきりと認識するのは意外と年齢を重ねてからだと思うよ。 言葉を理解して、社会を理解して、成功と失敗を積み重ねて、好きと嫌いをカテゴライズするのに飽きたころに「 じぶん 」ってキャラクターがどんなヤツなのか? ってぼんやりとわかってくるんだよ。
国語が得意だったり、二次元方程式を理解したり、柿ピーのピーナッツがゆるせなかったり、政治家の汚職が許せなかったり、カッコイイバイクや車に心を奪われたり、そんな情報の森羅万象が自分のアウトラインを形成していて、それらを含めてじっくりことこと煮込んだナニカがハラワタの奥に潜んでいる「 じぶん 」ってやつの食べ物なんだろうね。
現代は「 じぶん 」を作る情報が満ち溢れているから、みんなとっても豊かで多岐にわたった個性を持っているよな。
昔の人は大変だよ。 新聞すらままならない情報量で、小さいコミュニティと、大きさが把握できない国家社会に自分の手綱をにぎられて、毎日の生活や仕事に取り掛かっていかなくちゃいけないものな。
明治維新の人たちはそれぞれ限られた情報の中で「 どっち派 」か選択したのかな? それとも薩摩生まれだから・・・みたいな理由であっち派になったりしたのかな? これは今現在とは大きな違いだよな。
すなわち「 社会 」の構成員であるわれわれが、ネットを使うことで多くの情報を手に入れてしまったら、それまであやふやだったものをしっかりしなくちゃいけなくなり、しいては「 社会 」の運用そのものに破綻をまねいてしまうんじゃないだろうか。
それとも、我々は、我々が思っているよりもバカヤロウなのかな? 日本よりもずっと「 じぶん 」が重要視されているであろうアメリカでも、トランプみたいなのが出てくるんだもの。
だから、「 じぶん 」を形成する森羅万象を集めることを怠ってはならない。 そして、それを毎日越えていかなくてはいけない。
「 じぶん 」の形成は、限界の設定でもある
アタシはさ、もう結構な中年で、年収は低くて、男性ホルモンはいっつも暴走してるやつなんだけど、そんな「 じぶん 」がわかっちゃってるから
「 これは向いてないな 」とかいってやらないことって結構出てきたよ。
いまさらスペイン語を勉強しようとか、市議会議員に立候補しようとか、愛人を囲おうとか、そんなことは絶対にやらない。 人生は有限だ、限界があるよ。
でも、そうそうに限界を設定しちゃってやらなかったことも結構あるんだろうね。
それを越えるために
自分の知ってる森羅万象の外に行くには?
知らないことに触れるってどうすればいいのか?
ムリをすればいいのか? リカちゃん人形を口にくわえて、華厳の滝から身をなげればいいのか? ごぼうを咥えて「 内視鏡ごっこ 」をすればいいのか? ちがう、それはただの奇行だ。
おそらく、キーは「 他人 」にある。 他人の森羅万象に触れて、教えてもらうことがベストの方法だ。
まとめ
じぶんを作っているのは、自分の周りのありとあらゆるものだ
↓
しかし、じぶんの形成は限界の設定でもある
↓
限界を超えるには、他人の情報に触れることだ
ってことで、読んだ本やアニメ作品をはらわたの中に住む「 じぶん 」ってケモノに食わせたらこんなのがでてきたよ! インプットからの即、アウトプットきもてぃーーー!
以上! ごぼうの妖精おじさんでした! オエエエエエエエエエエエ!
次回「 いったい江戸にはいつ着くの? そろそろ帰りたい十本刀 」で会おうね!
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