モトハチ(元蜂の宿管理人のブログ)

閉鎖したライダーハウスの元管理人のブログです

自分がされて嬉しいことをしようと思った

インド旅行とメルカリがなぜか繋がったという話。

 

25歳の時にインドに行きました。あこがれの国です。インドに行った人は2種類に分かれます。「もう二度と行くか」という人と「インド以外に行く気が起きない」という人です。私はインドに何度でも行きたくなりました。

1月のニューデリー空港に降り立った私は、まず旅行代理店詐欺にぼったくられました。定価の30倍くらいのバナラシ行きチケットを買わされたのです。ネットでの情報が少ない当時、それが定価と言われて信用してしまいました。

それからさらに騙されて別の列車に乗ってしまいました。凹んでいたら優しいインド人に助けられて、20時間後なんとかバナラシにつきました。

ホテルに泊まって次の日、ガンジス河沿いを歩きました。おお、スゴイ。さすが神聖な川です。コレラ菌が生息できないくらい汚れているらしいですが、それでもキレイだと感じました。

少し歩くだけで子供たちがワーッっとやってきて、あれを買え、これを買えと言います。もうだまされないぞ、いらんいらんと追っ払って、あこがれの空間に浸っていました。

そんな時、ちょっと遠くを歩いている日本人らしき男性がいました。年齢も同じくらい、旅慣れている感じです。彼の行動に私は感動しました。

子供がワーッっとやってきて、あれを買え、これを買えと彼に言ってます。「おーし、いいよー」と子供の売っているカードとか花をたくさん買ってます。

私は自分が恥ずかしくなりました。子供の売っている商品はせいぜい50円とかです。私は入国以来騙され過ぎて警戒しすぎていたのでしょう。それぐらい買ってあげるべきです。

それ以来、子供の売っている商品は全部買う。適当に歩いている子供に飯をおごる。という自分ルールを設けました。商売を終えた子供たちはとっても素直でいい子でした。誘われるままどこかの路地について行ったり、一緒に遊んだりしました。正しいチケットの買い方を教わって、ニューデリーまで帰ることができたのです。

あの時、私の警戒心を解いてくれた日本人のお兄さんには感謝しかありません。彼が居なかったら私のインド旅行は「騙すか、騙されるか」というものになっていたでしょう。

 

※※※

 

そんなことを思い出したのは、そう、スマホにしたんです。

 

最近3年愛用したガラケーが壊れてしまったのです。ついにスマホデビューです。ライターの仕事でいつでもGメイルとチャットにつながりたかった。それにメルカリで売り買いしたいものがあるのです。

それは本です。結構高いやつ。自分のレベルを上げる為に必要な本がいっぱいあるんです。ただ、高いだけに手が出しにくい。それでメルカリでさらっと買って、パッと売ることを考えました。

別にスマホじゃなくてもできるんです。でもパッと写真をとってさっと売って、はい発送!という手軽さが欲しかった。最近のスマホはカメラもいいですしね。

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美瑛町の朝焼けとか。

 

ほしい本を買うためにメルカリをインストールします。

凄腕ライターの名もなきライターさんがおすすめしていた本です。内容文とか読んだら「ああ、これは読むしかない」となりました。定価で2000円ほどします。それがメルカリなら・・・・・

 

1500円!

 

うーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん

1000円ぐらいでも買えそうなのですが、そうゆうのは送料がかかるんですよね。こちとら北海道なのでややネックになりそうです。

それに著者や紹介者にお金が行きません。それってどうなのでしょう。お金に余裕があるわけではないですが、払いたい人には払いたいのです。そう、インドの時のように。

奪うか、奪われるかでは見えない景色があります。スタンスを変えましょう。価値があると思うならお金を使うべきです。

私のクライアントさんは、私の仕事に価値があると言ってくれています。私はそれが嬉しかった。だから自分がされて嬉しいことをしましょう。アマゾンリンクを踏んで、定価で購入しました。

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綿毛はあるのだ!しょうがない

「遠くに行きてぇ、ただそれだけだ」

と、おすすめの漫画のセリフをたまに思い出します。

 

 NHKドキュメント72時間という番組が好きです。新潟のレトロスポットや、新宿二丁目の定食屋などに3日間カメラを張り込ませるドキュメント番組。その場所に集まる人々の物語がいいんです。

人間には背負っているストーリーがあって、そこにスポットライトをやさしく当てるような内容です。

youtubeにも何本か上がっています。もちろん違法アップロードでしょう。それは良くないことです。ただ、このコラムのようなこともあるようです。

toyokeizai.net

 

ドキュメント72時間のディレクターをやっていた人のインタビュー記事です。キングコング西野さんの言葉を引用していて「コンテンツを作るのは出産すること、それを知ってもらうのは育児と同じ」といっています。

つまり良質なコンテンツを作るだけでは仕事は完成しないというスタンスです。それを人に知ってもらうことは出産と同じくらい重要なことと言えるでしょう。

だから数年前に制作されたコンテンツが、いまだyoutubeに残っていると言えます。

 

さて、以上のことを踏まえてドキュメント72時間の紹介をしたいと思います。

「さすらいのシャケバイ」という回です。舞台はあのシャケバイ、季節労働をする人なら一度は聞いたことがあるでしょう。

ライダーハウスとも縁がある仕事です。夏にやってくるライダーのなかにはお金を使い果たして「どこかに仕事ないですかね?」と聞かれることもしばしば。そんな時によく出てくるのがシャケバイです。

シャケバイの会社の方から求人のチラシを張ってほしいと言われたこともありました。ライダーハウスとシャケバイは深くかかわりがあるのです。

ただ、その中身までは知りませんでした。風の噂では相当やばい仕事ということを聞いたことがあります。今回番組をみて映像で知ることができたのは収穫でした。

NHKのカメラが入ったのは、シャケバイが終了する直前のようです。なのでまったり仕事をしている印象でした。これが最盛期の9月とかなら腱鞘炎にもなるのでしょう。

ライダーハウスから働きに行く人と似ていると思いました。彼らも繁忙期は2日間ぶっ続けて働いたりしているからです。そして同じように仕事が無くなれば次の場所に行きます。

オーソドックスなのはニセコなどのリゾートバイドでしょう。そうやって秋から冬の間を働いて過ごせば、春から夏までは自由に過ごせます。

 

番組の中で「どうしてシャケバイをやっているんですか?」という問いに答えるシーンがあります。人それぞれの理由があって、不安がありました。答えに悩んだ末の答えもありました。

自分の行動を言葉にして誰かに発信するのは大切だと思います。それが伝わっても伝わらなくても言葉にすることに意味があるのです。自分でも気づかない自分が見えてくることもあります。

 私が思うに、人間にも遠くに種を飛ばす本能があると思います。たんぽぽの綿毛のように、とにかく理由はないけど遠くに行きたい本能があるのです。それでいいじゃないかと思いました。

その恐怖を忘れちゃ終わりだよ

もう10年以上前になります、私は郵便局の保険外交員でした。25歳から飛び込んだ世界は未体験の物ばかりで、人生で最もエネルギーをつぎ込んだと言えます。

 

なぜこの仕事をしようと思ったのか?それは絶対できないことを出来るようになろうと思ったからです。私にとってそれは飛び込み営業でした。

 

私はコミュニケーションに問題のある人間です。人とノリを合わせることが苦手です。楽しくなったら突っ走ってしまうので、集団行動は苦手でした。

 

そんな人間にとって他人とは恐怖の対象です。保険の営業をやるまでまともに目をみて話すこともできませんでした。研修をすべて終えたころにはすこし話せるようになり、一人で営業に出るころには誰とだって話せるようになりました。

 

それでも最後の関門である飛び込み営業をやる時は大変でした。胃の奥からせせり上がってくる「やりたくない」という気持ちを「仕事だから」という義務感で押し殺します。ピンポンを押す、誰かが出てくる、用件は言えません、だってそんなもの無いのですから。

 

用件もないのにピンポンを押すのです。そのゴールはもちろん新規契約で、そこまでたどり着けるピンポンは100回に1回あればいい方です。

 

初めての飛び込み営業から、10年以上経過しました。今でもあの恐怖を思い出すたびに胃の奥から何かがせせり上がってきます。で、この前病院にある文芸春秋に同じようなことが書いてありました。

 

ビートたけしが「芸人は舞台に立って滑る恐怖を忘れたらおしまい」と語っていました。その気持ちで仕事をすると。なるほどと思いました。

 

先日納品した記事のリアクションがなかった時です。いつもだったら1日以内に感想をくれるクライアントさんなのですが、今回は情熱を注ぎ過ぎたぶんわかりにくくなってしまったかもしれません。

 

それでも「これ以上はできない」となるまで書いたものですから、後悔はありません。ただ評価を待つのは恐怖でした。もしかしたら、もうだめかも?という気持ちがふつふつと沸いてきて、叫びだしたくなりました。

 

舞台の上に立ち、芸をするしかないのです。漫才師なら漫才を、、保険外交員ならセールストークを、ライターなら文章を書くしかありません。

 

責任はすべて私一人のものです。

 

結論は3日経過して出ました。普段通り「OKです」ということでした。恐怖はすべて快楽物質に変わり、じわーっとした気持ちよさが込みあがってきました。これ以上気持ちのいいことってあるのでしょうか?私は知りません。

 

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最も集中できるのは図書館ではない!裁判所だ!!

週に何度か私は親を病院に送迎してます。ネット環境があればどこでも仕事ができるので、とくにストレスなく仕事ができます。お気に入りの場所はランドリー室の前にある自動販売機のスペース。テーブルが3脚あり、そこでもくもくと仕事をします。

 

月に1度、診察に5時間以上必要な日があります。そんな日は美瑛に戻ったり、裁判傍聴に行ったりします。今日も長い時間がかかる日でしたので、裁判傍聴に行くことにしました。

 

いつも裁判傍聴に行くときは電話で確認を取るようにしています。ですが今、私のケータイのスピーカーが壊れていて、その確認ができません。「まあ、いいか」と空振り覚悟で裁判所に行きました。

 

午前9時、旭川裁判所の3Fはひっそりしてました。掃除と警備の人だけが動いています。どうやら今日は平和な日のようです。とりあえず法廷の前に張り出されている予定表をチェックします。

 

9:50民事結審10:00利益返却申請

 

民事裁判は行われているようです。それにしても10分で結審?民事はだらだら長いイメージだったので意外です。せっかくなので傍聴してみることにしました。

 

傍聴席の扉を開けるとびっくりしました。なんと、2人しかいません。被告と原告ではなく、裁判官と書記官だけです。当事者である両サイドは空席です。早口で裁判官が結審を述べていました。

 

ぽかーんとしていたら「じゃあ、終了です」といって裁判官が立ち上がって退廷します。????となりましたがそのまま次の裁判まで待つことにしました。書記官と私だけの法廷です。

 

暇なので仕事について考えました。キューンと集中力が高まって、メインの論理を考える私、読者の視点で突っ込む私、読みやすくするためシンプルにしようとする私がでてきました。あっという間にプロットが完成、うん、書ける。いつもだったら1時間かかる時があるので、この集中力はすごいです。

 

「失礼ですが、原告の方ですか?」書記官の女性に話しかけられました。

「いえ、ただの傍聴人です」

「ああ、そうですか」

「ところで、民事って傍聴してもいいんですか?」

「はい、公開されてますから」

よかった、安心して次の裁判を待ちます。

 

今度は原告の代理人の弁護士先生が来ました。被告は欠席です。裁判官がやってきて4人の法廷が始まりました。裁判官が早口でべらべらとしゃべります。内容はよくわからないのですが、方向性としては「どーせ示談にするでしょ?」という感じ。

 

どうやら、これは事務です。正義を争う裁判というよりは、ただの作業のようなもの。ぽかーんとしていたらさっきと同じように終了しました。もう一度裁判の内容を確認すると、どうも消費者金融の名前がのっています。

 

つまりアディーレのような過払い金返還の裁判なのでしょう。被告も結論が決まり切っている裁判に出席するよりは、普通に働いたほうがマシというもの。こんなことが、日本中で行われているのです。集中して仕事もできたし、勉強にもなったし、好奇心も満たされた日でした。

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