モトハチ(元蜂の宿管理人のブログ)

閉鎖したライダーハウスの元管理人のブログです

決しておごらず、それでいて謙虚さに逃げずに

ライダーハウス蜂の宿管理人のノザワです。

 

ランサーズにはさまざまな仕事があり、わりと受かるようになってきました。おそらく1年書き続けたからそれなりの信用になってきたのだと思います。

その中に、個人で契約をいただいているクライアントさんがいます。好きなジャンルだったから、単価を考えずに手を上げたら採用されました。

プロの専業ライターだったらありえないぐらいの時間をかけて納品しました。私の尊敬するライターが「自分の記事でバズらせてやる!」という気持ちで書いているといってますが、私もそれに習ってます。

出来る限りのクオリティで納品していたら、評価してくれ単価を上げてくれました。とてもうれしかったです。

 

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より頑張ろうと思い、より時間をかけて納品することにしました。でも、それはあまり良い結果を生みませんでした。

「自分ごときができることなど、大したことではないのだから」と謙虚になりすぎてしまったのだと思います。

反省してたら、こんなのを発見。

ほぼ日刊イトイ新聞-ダーリンコラム

「人をばかにしてはいけないのはあたりまえで、その『人』のなかには自分も入っている」という内容です。

「そうなんだよな」と納得しました。自分はそろそろ安さだけを売りにしてはいけない段階にきているのだと、今年の4月にカットされてぽっきり折れた自信をそろそろ取り戻さなくてはいけない段階にいるのだとおもいます。

今の自分を認めることで、やっと次のステップに行けるのです。

謙虚さだけでなく、自分のできることを売り込まなくてはいけません。

 

※※※

 

「自分ができることは、結構スゴイんですよ」というのは恐ろしいです。

そんなハードルを上げて、良いことなど一つもないと思ってました。

私が今までやった中で評価されたのはライダーハウスです。

そのライダーハウスにしたって、ハードルを上げないように頑張ってました。

「マジ、くそみたいなところですよ」と電話先や案内をするときに言います。

そうすることで辛辣な評価から逃げてきました。

そうじゃない、もう、それじゃあ駄目なんだ。

謙虚って言葉の陰に隠れたら、いつまでたっても成長しない。

4月の出来事はへこんだけれど、間違いなく成長できた。

やや自信過剰じゃなければ先には進めないし、批判を受けるリスクを怖がってたら新しい世界には踏み込めない。

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BLAME!の映画を見た感想。原作知らない人を置いてけぼりにすることで生まれる「らしさ」

映画版「BLAME!」をみました。

原作は何度も読み返すぐらい好きでした。

で、それぐらい思い入れの強い作品の映画化って、「んー?」となること多いのです。

まあしょうがない、たった2時間のフレームに、あの謎世界を詰め込むことが不可能ですから。

BLAME!は説明不可能の超巨大都市(建築物)をさまよう主人公が、「ネット端末遺伝子」をもつ人類をさがす話です。

ほら、もうわけわかんない。

ケイ素生物をぶっころしたり、重力子放射線射出装置をぶっぱなしてビルぐらいのでっかい生物を殺したりします。

ワードがね、謎。

人類はOSである統治局まではアクセスできるのですが、基本的にはセーフガードから排除の対象として殺されまくります。

作者はこのとき病んでいたんじゃないか?と思います。

 

とにかく超迷子状態の人類が、シュールなマネキンロボのようなセーフガードに殺されます。と思ったらロストテクノロジーに近づく科学者もいたりして、世界は3次元的に広いのです。

そんな風にBLAME!をしらないツレといっしょに映画を見ながら解説するのですが、基本的には伝わりません。

だって説明しようのないものを説明しようとしてるのです。

「原作を見ろ!」と言いたいですが「原作を見たら意味が分かるの?」と言われたら困ります。だって原作もわけわかんない。

ぼわあ

っと意味は想像できるのですが、基本的には主人公が重力子放射線射出装置でぶっころす話です。

そんな映画が面白いのか?と思われるかもしれませんが、胸を張って「面白い!」とお勧めできる作品です。

ただし、原作ファン限定。

つまり、この映画は原作を読んでいない層にむけては作られていません。

ファミ通なら「ファンなら」ってただしがきがありますが、「ファンのみ」という映画と言えるでしょう。

だからこそ表現できるものがあります。

1から10まで怪しい、あの感じ。重力子放射線射出装置のカッコよさ。そしてなんといっても、あの迷子な感じ。

すべて余計な解説をしないことで、生まれてくるものです。

CGアニメということでアクションも素晴らしい!そして最近のCGはキャラにも不気味さを感じません。弱点が見当たらない状態。

「ファンのみ」というか「ファンは見ろよ!絶対損しないから!!」といいたい。

 

そんな作品でした。いやーよかった。

 

いい仕事をしたなと思う時

東洋経済新聞オンラインの村田らむさんの記事が面白いです。

たとえばコレ

toyokeizai.net

ゴミ屋敷の掃除ってきつそうです、webライターが高級な仕事に感じるくらい。

そこに「知らないうちに人を救っていた」というやりがいを感じてやり続ける社長。

でも「商売は金を稼いでなんぼ」というのが基本にあるといいます。

このバランス感覚、しびれます。

 

ライダーハウスなんてやっていると、どんどん商売の法則から遠ざかっていく気分になります。

「世間様に背を向けて、いったい俺はなにをやっているのか?」

という気分になるときもありますが、それでも続けているのはわけがあります。

それは別に人を救っているとかではありません。

「そのほうが面白いから」やっています。

できっこないといわれまくったことを、やりつづけること。そして誰にもどこにも似ていないものを作ること。それは純粋に面白いです。

理解されようなんてこれっぽっちも思ってません。むしろ理解されないように頑張っています。

8年やってそれはほぼ実現しました。

その中の一つに「カヤックガイド」があります。

ありえないぐらいの安値で、お客さんを選びまくり、半端ないリスクをしょい込むことでなしえた私の夢でした。

お客さんがひっくり返っているのが癒しでした。

命があってケガもないことがおもしろくてしょうがなかったのです。

ワハハと笑いました、無事なことって面白い。

そんなある日、男性3人をガイドすることになりました。

「3人はリスクがキツイ」といいましたが「そこを何とか」と引き受けてしまいました。

そして死体を発見しました。

死体は3人のうちの一人、カヤックを持ち込んでまでやってきた男性の奥さんでした。

すべての事情を聞いてなっとくします。自殺して川に飛び込んだらしいです。

消防をよんで、すべて片づけて夜、「好きだったんだ」とぼろぼろ泣くお客さん。

私は「いい仕事をしたんだ」と思いました。

少なくとも、私がいたから、彼女を発見する最初の人間がご主人と友達だった。

スラローム艇というトリッキーなカヤックを買ってまで、奥さんを探そうとしたご主人。それを「危ないからやめろ」といった友達。陸路で奥さんを探したときに発見した川ではしゃいでいる男(私)。

あの役目だけは、私だからできたのでしょう。

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このクソ正しく、美しい世界

「70歳の人が運転する車に追突されて、加害者に脅される」

という話をしりました。

freelancer875.hatenablog.com

加害者の意向で金は払わないということです。

過失割合は10-0、なので被害者には損害保険が発生しません。

個人で、よくわからないことを言い始めた加害者と保険会社を相手に戦わなくてはいけなくなったのです。

「追突したときの速度を証明しろ」とか、本当に意味が分かりません。

 

被害者は本当に大変だと思います。

弁護士を探して依頼し、立件してキ○ガイと戦わないといけません。

 

私が知っているのは「裁判所は割と正義」ということです。

少なくとも旭川裁判所の裁判傍聴をしていて、常識や正義から外れた判決はありませんでした。

なので、なんとか資金を工面して、恐れずに訴えることをおすすめしたい。

 

おそらく、そこまで行く前に損保会社がびびって金を払うはずです。

 

 

※※※

 

他人事ではありません。私の両親もアラウンド70歳。

せめて冬の間は私が運転手として手伝えますが、夏は自分で運転するでしょう。

ライダーハウスのおかげで、私は私の人生に満足していますし、ランサーズのおかげでどこでも仕事ができる状態です。

運転手になるのはやぶさかではなく、なんとか生きていくのも不可能ではありません。

 

※※※

 

正しさってなんだろう?と思います。

裁判に行けばそれは法律になります。

が、ほとんどの場合、正しさは個人の中にしかありません。

追突した70歳の運転手にとって、自分が悪いけど金を払わないのは、それがその人にとって正しいからです。

ヤクザだって、テロリストだって自分が正しいと思っています。

だからそんな基準については考えてはいけません。

ボーイズビーアンビシャスといったクラーク博士が北大の黎明期に言った言葉を知りましょう。

あれこれ校則をつくった人に意見を求められ、全部否定して書いた言葉を。

「これだけで十分だ」といった言葉は「紳士たれ」

たった4文字なのに、果てしなく美しい。

美しさは時間を超えて私の胸に響いてます。

物を判断する基準は美しさであり、私のルールは「それは紳士的か?」というものです。