モトハチ(元蜂の宿管理人のブログ)

閉鎖したライダーハウスの元管理人のブログです

所によってはプロフェッショナルほど使えない

プロフェッショナルとは、シロウトとは比較にならないほど専門的な知識を持ち、それでお金を稼いでいる人のことです。

どこかで働き始めたとき「プロとしての自覚をもって」と言われたことがあるでしょう、そのとき(そうか、私はプロなんだ、がんばろう)と決意を新たにするようなことが、今日も日本のどこかで起きているはずです。

でも、プロってサボる口実に使われることもあります。 「それは私の専門外です」ってやつですね。 高橋がなりという社長の本を読んだとき、こんなことが書いてありました。

高橋がなりテリー伊藤のもとで映像製作のプロフェッショナルになり、AV業界に乗り込みました。 そのとき、既存の業者がいたのですが、既存の技術で作った製品を、既存の販売ルートに、既存の価格設定で売っていただけなんです。

それに気づいたとき、「ココにはだれもいない」と高橋がなりは思ったらしいです。 だれもが自分の担当の仕事だけをやっていたんでしょう、

 

同じように、星のリゾートの雲海テラスも設立にはプロフェッショナルの弊害があったようです。

この前読んだ本で知ったのですが、あの人気スポットを作ったのはトマムのスキー場のゴンドラ係りのおじさんたちだったのです。

顧客満足第一」の理念のもと、雲海テラスを提案した機械のメンテナンスのプロたちは、山頂でコーヒーを出すことにとても苦労してます。

機械ばっかりやってきたので、コーヒーを出すのも未経験です。 普通だったら飲食のプロに委託するでしょう、でもそれはできません、自分たちでやるしかないんです。

リゾートの飲食のプロに相談したらしいです、おそらく「ムリだ」と言われたんゃないでしょうか。 場所が場所だし、保健所の許可とかもムリっぽいし、第一回転率も悪い。 飲食として成功する要因はほぼないです。

結局、飲食のやり方だけを教えてもらって、自分たちで全部やったらしいです。 最初は7人ほどで回したらしいです。 うーん、大変。

でも、飲食のことを知らなかったからできたんですよね。 下手なプロフェッショナルは新しい挑戦の障害になるんです。

なにかやろうとしたとき「自分は専門的な知識も教育も受けていないからなあ・・」とあきらめてしまうのはもったいない。 プロっていってもろくでもないのもいるし、当てにもならないから気にしないほうがいいんです。

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怖さへ

私はかつて想像するだけで恐ろしかったことがあります。

それは「飛び込み営業」です。

まったく面識のない家に飛び込んで、これを買ってくれというトークをする行為が恐ろしくてしようがありませんでした。 いったい、あれができる人ってどんなメンタルをしてるのだろう? 

自分には絶対出来ない行為だ

・・・・・・絶対?

・・・・がんばればできるかもしれない。

・・・・・もしできたら、自分はこの世で一番の恐ろしいことをやっつけたことになるんじゃないか。

そうなれば、後は怖いものなんてなくなるんじゃないか。

・・・・・・・

 

で、保険の営業として研修を受けて、さあ、飛び込み営業をやってみようとなると、意外とできました。 最初のピンポンさえ押せれば、あとは流れでなんとかできるんですね。

あんなに、できっこない、おそろしいと思っていたものも、実際に飛び込んでみたらあっけなかったです。

 

私はこの経験から、「怖いものには飛び込んで見よう」という習性を身につけることが出来ました。

仕事を辞めたらどうなるの?怖い!→辞める

自分なんかが自営業をやったらどうなるの?怖い!→やってみる

という大きな事から、バンジージャンプ、ジェットコースター、裁判傍聴、パラグライダーなどに手をだしてます。 すべて「怖い」からくる行動です。

そして、怖さって自分ができるけどやらないくらいの距離にあるものからくるんです。

有り金全部ギャンブルに突っ込んだら・・・?とかは考えないし、考えないから怖くないんです。 できるけど、やらないこと。 その想像が怖さを生むんです。

やらなければ怖いままだし、世界は広がりません。 さしあたって一番怖いものにとりかかってみると、あとはスムーズに行きますよ。 私はいまだに飛び込み営業への最初の恐怖心を越える怖さに出会ったことはありません。 あれに比べたら、大体のことは怖くないんです。

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DJI mavic pro で強風の中スノーシュー

「やすみたかったらいいですよ」って若干不安になる言葉をいただいたので、土曜日に遊びに行きました。

確定申告の書類を作っていたらあっという間に午後になってしまったので、ややあせったけれど、それがかえってよかったようです。

やや、オレンジかかった夕日が雪原をよく照らしてくれました。

強風は5m/s以上のブローがたまに吹くぐらいですが、そのくらいの風をうけると、アラートがなってくれるので安心でした。

そのあと、bi-yellで確定申告の書類の清書。

だんらん室という空間があり、とてもオサレで落ち着くのです。

エレベーターで地下に降りるとcafeに行くことができ、テイクアウトでコーヒーも飲めます。

来年、もしランサーズだけで冬を越すときは、ここにノマドに来ようとかすかにたくらんでいるんです。

 

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 あと、mavicのケースを自作しました。

1000円くらいの工具箱に、劇落ちくんを切ってつめただけ。 でも十分機能します。

そんな休日でした。

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なぜ「言い訳はしてはいけない」のか

子供のころ、失敗して怒られるときに「言い訳するな!」と言われました。 でも、失敗した理由を話さなくてはいけないので、どこからどこまでが言い訳になってしまうのかわかりません。 

そもそも、なんで言い訳してはいけないんでしょうか。 失敗した理由を説明しないと、なぜその失敗が起きたのかわからないではないですか。 

それから大人になって、他人の失敗を注意することがでてきました。 そして、やっと「言い訳をしてはいけない」その理由がわかったのです。

 

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失敗ばかりしてる人がいます。 人間だから失敗はしょうがないことです。 次に同じ失敗を繰り返さなければいいのですが、なんども繰り返してしまう人がいます。

私もかなりの失敗をするタイプなのですが、そんな私から見ても「それはないだろ・・」と思ってしまう人がいるんです。

そうゆう人は同じ失敗を繰り返すんですが、そのたびに「もう二度と失敗しない」と誓うんです。 その宣言は実に見事で美しく、反省と自戒に満ちていて、注意する側の言葉を失わせる効力をもっています。 でも、結局また失敗するんです。

私は失敗を繰り返す人ほど、謝罪が上手なことに気づきました。

彼らの謝罪は自己防衛なのです、失敗による痛みが嫌いなのでしょう。 もっとも怒られない方法を長い時間をかけて作り上げてきたワザなのです。

もう失敗しないように、改善点を提案したりするんですけど、その提案は謝罪がうまい人には伝わらないんです。 痛みを味わいたくなくて、ココロが閉じてますからね。 

この「痛み」ってのが大事なんですよ。

失敗による痛みには、肉体的苦痛や、屈辱や恥、評価点などがありますが、それらはすべて必要なものです。

その痛みが痛ければ痛いほど、もう二度としないと誓えるからです。

「言い訳をしてはいけない」理由はココにあるのです。 失敗を繰り返さないためのポイントは、「痛み」をそのまま受け入れることなんです。

 

言い換えれば「失敗は痛くなければいけない」ともいえます。 痛みこそが経験値のボーナスステージ、成長のためのメタルスライムなのです。

痛みは成功や勝利にはないので、勝ってるときってあんまり得るものはないんです。 失敗したときこそ、目を見開いて、痛みを受け入れなくてはいけません。

脳は痛みを嫌がりますので、忘れてしまうんですね。 楽しいことや気持ちのいいことだけを覚えようとしてしまうのです。

それではあまり成長しません。 「失敗は成功の糧」という言葉の通り、よい土を作ることが成功のための必須条件なんです。

だから、きちんと失敗してきちんと痛みを受け入れましょう。 そしてそれを頭に刻み込みましょう。たまに思い出しましょう。

得るものは、きっとそこにあるからです。

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